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三千家

 

茶道を大成させた千利休の死後、千利休の茶の湯は二代少庵宗淳(しょうあんそうじゅん)を経て、孫の三代元伯宗旦(げんぱくそうたん)へと引き継がれます。
宗旦の息子4人のうち、長男の閑翁宗拙(かんおうそうせつ)は勘当され家を出たため、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)がそれぞれ、「官休庵(かんきゅうあん)」、「不審庵(ふしんあん)」、「今日庵(こんにちあん)」として、千家を継ぎます。
そして、「官休庵」は武者小路通り小川東入にあるため「武者小路千家」、「不審庵」は表通りにあるため「表千家」、「今日庵」は裏通りにあるため「裏千家」と称され、以来三千家は約四百年に渡って、茶道の伝統を守り続けて現在に及んでいます。

 

三千家系譜

1世 利休宗易(抛筌斎)
(1522〜1591)
 
    
2世 少庵宗淳
(1546〜1614)
 
    
3世 元伯宗旦(咄々斎)
(1578〜1658)
 
    
 武者小路千家表千家裏千家
    
4世一翁宗守(似休斎)
元伯宗旦の二男
(1593〜1675)
江岑宗左(逢源斎)
元伯宗旦の三男
(1613〜1672)
仙叟宗室(朧月庵)
元伯宗旦の四男
(1622〜1697)
    
5世文叔宗守(許由斎)
似休斎一翁の子
(1658〜1708)
良休宗佐(随流斎)
久田宗利の二男
(1650〜1691)
常叟宗室(不休斎)
仙叟宗室の長男
(1673〜1704)
    
6世真伯宗守(静々斎)
許由斎文叔の子
(1693〜1745)
原叟宗左(覚々斎)
久田宗全の長男
(1678〜1730)
泰叟宗室(六閑斎)
不休斎の長男
(1694〜1726)
    
7世堅叟宗守(直斎)
嵯峨家よりの養子
(1725〜1782)
天然宗左(如心斎)
覚々斎の長男
(1705〜1751)
竺叟宗室(最々斎)
表六世覚々斎の二男
(1709〜1733)
    
8世 休翁宗守(一啜斎)
直斎門人よりの養子
(1763〜1838)
件翁宗左(啐啄斎)
如心斎の子
(1744〜1808)
一燈宗室(又玄斎)
表六世覚々斎の三男
(1719〜1771)
    
9世仁翁宗守(好々斎)
裏九世不見斎の三男
(1795〜1835)
曠叔宗左(了々斎)
久田宗渓の子
(1775〜1825)
石翁宗室(不見斎)
又玄斎の長男
(1746〜1801)
    
10世全道宗守(以心斎)
久田宗也の子
(1830〜1891)
祥翁宗左(吸江斎)
久田宗也の子
(1818〜1860)
柏叟宗室(認得斎)
不見斎の長男
(1770〜1826)
    
11世一叟宗守(一指斎)
表十世吸江斎の次男
(1848〜1898)
瑞翁宗左(碌々斎)
吸江斎の長男
(1837〜1910)
精中宗室(玄々斎)
女婿・松平乗友の子
(1810〜1877)
    
12世聴松宗守(愈好斎)
久田宗悦の子
(1889〜1953)
敬翁宗左(惺斎)
碌々斎の長男
(1863〜1937)

直叟宗室(又玅斎)
角倉玄寧の子
(1852〜1917)

    
13世徳翁宗守(有隣斎)
女婿
(1913〜1999)
無盡宗左(即中斎)
惺斎の次男
(1901〜1979)
鉄中宗室(圓能斎)
又玅斎の長男
(1872〜1924)
    
14世宗守(不徹斎)
有隣斎徳翁の長男
(1945〜)
宗左(而妙斎)
即中斎の長男
(1938〜 )
碩叟宗室(無限斎)
圓能斎の長男
(1893〜1964) 淡々斎
    
15世
  汎叟宗室(鵬雲斎)
淡々斎の長男
(1923〜 )
    
16世  玄黙宗室(坐忘斎)
鵬雲斎の長男
(1956〜 )

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