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鳴物

銅鑼 喚鐘 板木 木魚

鳴物

鳴物(なりもの)とは、茶事において準備の整ったことなどを知らせるために叩いて音を出すための道具のことです。
鳴物は、銅鑼(どら)、喚鐘(かんしょう)、板木(ばんぎ)、木魚(もくぎょ)などがあります。
鳴物は、一般的に銅鑼や喚鐘は亭主が中立後の後入の合図などに用い、板木や木魚は客が到着や連客の揃った合図などに用います。
鳴物は、亭主が茶席の用意を終えて客の入来を請うために用いるのを鳴物挨拶(なりものあいさつ)といい、鳴物による案内を始めたのは古田織部が露地を拡大したために亭主が躙口を開けて後入を知らせるというそれまでのやり方ができなくなったからといいます。
鳴物挨拶は、客数や露地の広狭により異なるとされます。
表千家では、小間では銅鑼を「大小大小中中大」と七点打ち、広間では喚鐘を「大小中中大」と五点打ち、夜咄で板木を用いる時は「大小大」と三点打つといいます。
裏千家では、小間(五客以下)では銅鑼を「大小中中大」と五点打ち、広間(五客以上)では銅鑼を「大小大小中中大」と七点打ち、夜咄では喚鐘を「大小中中大」と五点打ちます。
武者小路千家では、銅鑼を「大小大小中中大」と七点打ち、客の人数によっては「大小中中大」と五点打ち、夜咄では喚鐘を「大小大小大」と五点打ちます。
遠州流では、銅鑼の打ち方に「大小大小中中大」の七点、「大小中小大」の五点、「大小大」の三点の三種あるといいます。

『南方録』に「同道人相揃はヾ、主の掛置たるにまかせ、版にても喚鐘にても柝にても打べし、数は三つ可然、主の沓の音聞ば、立渡りて迎を待べし。」 「主後座の配合を仕廻鉦を打べし、禅林の規縄に、飯に三下、茶に二下、版を打と云へり、其故実を以て、五の数は可然か、千家大方は三聲を被用、とかく案内を報ずる所本意也、版喚鐘其外にても主の料簡次第打べし、他流にどらの音、色々口伝を云へ共不可用」とあります。
『又玄夜話』に「師曰、しらせは先はなく共相済可申候、老人に御座候て後入をしらせにて案内仕宜敷御座候、若き者も中立参り近くはしらせの方宜敷御座候、総してしらせは同格より下の事にて御座候、貴人へは御無用可被也候、乍然貴人しらせを聞度と所望候はゝ御打可被成候、おも々々御あしらい被成候はゝしらせ御打直に迎に御出候方宜御座候、しらせには喚鐘はさひと夜咄なとには一段おもしろく御座候、常にはとうの方宜御座候、乍然何にても悪敷と申義無御座候、喚鐘は真の方に付申候、其外の鳴物先は御無用可被成候、面白くなき物にて御座候、数は客にかまはず五に御打可被成候、大小大小大と余りせはしからす御打可被成候」とあるといいます。
『茶湯古事談』に「中立之後の人の相図に鉦を打事ハ伏見にて去人のすきやより腰懸まてあまりに遠かりしゆへ鉦をうちしより始りぬ、然るに至て問近き所にても鉦をうつハいかゝ也となん」とあります。
『陸安集』に「くぐりの戸を明けず、鉦を打つ事、古田織部より始まる。古織、伏見住居の時、数寄屋より腰懸まで程遠き故、座敷の仕廻し、客へ知れざるに付きて案内の為に鉦をうたれたれば、利翁、是も面白しと言われしより用い来るなり。鑵鐘は、利翁より用いたるなり。此の二品の外用いず。擔下、数寄屋近き腰懸に鉦を打つ事、此の故に心得ざる事なり。」
『茶道湯一会集』に「一 腰懸に客落付たらば、詰、正客へ挨拶して、版木を可打、又は木魚にても同じ、尤相伴の衆邪魔になるべき所ならば、版を打つうちは、腰懸をはなれ居るべし。集雲庵七箇條第一 賓客腰懸に来り、同道の人相揃はゞ、版を打て案内を可報といふは此事なり。当流打様 △−△ △ △ △ △ △ 二槌たゝみ打、客の数を打なり、又初の二槌を省き、客の数計も打つ。近世多くは版木なし、しかれば詰を以て勝手へ揃ひを申入か、又は亭主方より人を出し置ば、其人へ申つかはすべし」 「前文の如く、亭主、口取持出退くとき、給仕口際にて、正客へ向ひ、しばらく御休息下さるべく哉と申せば、正客よりも、しばらく休息いたし度、御亭主にも御休息有之やうにと申すべし、清規なれば鳴物を以て御知らせ可申旨申すなり。或は鳴物にて御知せ可申とばかり申してもよし。正客応之、給仕口〆る。(又は勝手口にても、)亦貴人正客のときは、右の挨拶詰へ向ひ伺ひ申事も有り。亦貴人正客ならば、正客より、しばらく休息可致、鳴物にて相図をと被申事もあり。亭主応之。給仕口〆る。抑鳴物挨拶の仕方、前顕の如きは当流に限る事なり。元より休師の立てし茶法は、禅林の清規をうつしたるは勿倫の事なり、然るに禅林に於て、和尚の上堂するも、鳴物を以て相図を定むるをや、今茶事にもちふる鳴物も、全く其風儀にて、草庵の清規と云ふ事、実に動くまじき茶規なり。努々貴客に対し略儀失礼の仕方にあらざる事を知るべし。扨、流布の茶家諸流を見るに、鳴物はひたすら略儀と心得、挨拶にも略儀乍ら鳴物を以って云々、又は貴人正客の節は、是非初のごとく迎に出て申すべしなど、皆茶道の本意にそむけり。乍去茶味禅味不得道なる客を得ては、時宜によりて略儀と申しても、迎に出たりとも、夫は制外とおもふべし。渓鼠余談に、浅露地鳴物は無用なり。深き露地たりとも、敬客には用捨あるべし。雪中・月夕・雨中露地に風情ある時節は、鳴物を打べし云々。此説も又前の説に同じく。茶道の本意にいたらざるなり。猶又月雪などの風情を増す為にもあらず。しかし折にふれて、おのづからの風情にはなるべし。その元を失ふことなかれ。 」 「一 鑼・喚鐘打様之事、せはしく打は悪く、如何にも静にして、間のぬけたるは猶あしゝ、心しとやかに、ひゝきの不絶やうに打事、口伝有り、当流打様 大 中 大 小−大 小−大 右七つ打事、定規也、略して五つ打時は、末の小大を省くへし、千家に、鑼七つ、但し五つ打か、又、客の数打か、三通り也、喚鐘は五つ一通り也と云々、尤図有り、又、くゝり近き腰掛ならは、内の置合、掃除を仕廻、潜の口を明け掃出し、外へ出て案内を云事もあり、又上から、是より申ます、御勝手に御入被成候へと云ひて、潜り口を少し明かけ置事もあり、客亭の品に可依、昔は内の仕付済てはき出し、くゝりの口を明かけ置て、勝手次第に入座仕りたる事也、今も此仕方する人もあり、心得へしと云々、是は平点規範の説也、当流にては是非鳴物を用ゆる事、本文に委しくいへるかことし」とあります。

     
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