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萬暦物香合

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萬暦物香合

萬暦物香合(ばんれきものこうごう)は、中国明代の万暦年間に景徳鎮で焼かれた色絵磁器の合子のことです。
萬暦物は、青花を施して高温焼成した染付地に、黄、緑、紅、紫で加彩し低温焼造したもので、「五彩」と呼ばれ、赤が多く配色されるところから、日本では「萬暦赤絵」と呼ばれています。
萬暦(ばんれき)は、「まんれき」ともいい、中国明代の第十四代皇帝神宗の在位中(1573〜1620)に使われた元号で、第十三代皇帝穆宗の在位中(1567〜1572)に使われた隆慶(りゅうけい)に続くものです。
萬暦物香合は、安政二年(1855)刊『形物香合相撲』では「世話人」に位置します。


萬暦物   萬暦物   萬暦物
萬暦赤絵 長角   萬暦赤絵 小丸   萬暦赤絵



『陶説』に「隆慶萬歴窯 隆慶六年復起燒造仍於各府佐輪選管理。萬歴初以饒州督捕通判改駐景コ鎮兼理窯廠。江西大志舊用浮梁縣麻倉等處白土毎百斤給直七分。萬歴十一年同知張化美見麻倉土膏已竭掘挖甚難毎百斤加三分。近用縣境呉門托新土有糖點者尤佳。 豫章大事記窯變極佳非人力所可致。人亦多毀之不令傳。萬歴十五六年間詔燒方筋屏風不成變而為床長六尺高一尺可臥。又變為船長三尺其中什器無一不具。聞主者於饒州郡縣官皆見之後搥碎不敢以進。 按明瓷至隆萬製作日巧無物不有。然隆窯之秘戲殊非雅裁他物汁水瑩厚如堆脂有粟起若雞皮者有發棕根若橘皮者亦可玩也。通雅云官窯土骨坏乾經年重用車碾薄上釉候乾數次出火釉漏者碾去上釉更燒之。故汁水瑩厚如堆脂不易茅篾。此亦民窯之不得同者。 又按明時江南常州府宜興縣歐姓者造瓷器曰歐窯有倣哥窯紋片者有倣官均窯色者采色甚多皆花盤奩架諸器舊者頗佳。附記於此饒窯倣定器用青田石粉為骨曰粉定。質麁理鬆不甚佳。」 (隆慶萬歴窯は、隆慶六年復た燒造を起し、なほ各府の佐に於て輪選管理す。萬歴の初め、饒州督捕通判を以て景コ鎮に駐め、兼て窯廠を理めしむ。江西大志に、もと浮梁縣麻倉等の處の白土を用ひ、百斤毎に直七分を給ふ。萬歴十一年、同知の張化美、麻倉の土膏已に竭き、掘挖の甚だ難きを見て、百斤毎に三分を加ふ。近ごろ縣境の呉門托の新土を用ゆ、糖點あるもの尤も佳し。 豫章大事記に、窯變極めて佳し、人力の致すべき所にあらず。人亦多く之を毀ち、傳へしめず。萬歴十五六年の間に詔りして方筋屏風を燒かしめしに成らず、變じて床と為れり、長さ六尺、高さ一尺にして臥す可し。又變じて船となれり、長さ三尺、其中に什器一つも具はらざる無し。主者饒州郡縣官に於て皆な之を見たり、後に搥碎き敢て以て進めずと聞きぬ。 按ずるに明瓷は隆慶萬歴に至り製作日に巧みに物として有らざる無し。然れども隆慶窯の秘戲は殊に雅裁にあらず他物は汁水瑩厚にして堆脂の如し、粟起して若雞の皮の如きものあり、棕根を發し橘の皮の如きものあり、また玩ふ可し。通雅に云ふ、官窯は土骨坏乾し年を經れば、重ねて車を用い碾り薄ふし、釉を上し乾くを候ふこと數次にして火を出すに釉漏る者は、碾り去つて釉を上せて更に之を燒く。故に汁水瑩厚にして堆脂の如く、茅篾し易からず。此れ亦民窯の同きを得ざるものなり。 又按ずるに明の時に江南常州府宜興縣の歐姓なる者は、瓷器を造りて歐窯と曰ひ、哥窯の紋片に倣ふ者あり、官、均の窯色に倣ふ者ありて、采色甚だ多し、皆な花盤・奩架の諸器にして、舊きもの頗る佳し。此に附記す饒窯は定器に倣ひ、青田の石粉を用いて骨と為し、粉定と曰ふ。質麁を理鬆くして甚だ佳からず。)とあります。

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