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東山時代香合

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東山時代香合

東山時代香合(ひがしやまじだいこうごう)は、所謂東山時代物と呼ばれる漆器の合子を云ったもののようです。
東山時代は、室町幕府八代将軍足利義政(あしかがよしまさ、永享三年生、延徳二年没、生没1436〜1490、在職1449〜1474)が文明十四年(1482)に東山殿の造営を始めてから没年までをさしますが、義政の治世時代の全体をよぶこともあり、義政の庇護のもと、同朋衆、禅僧、河原者などを中心に絵画・工芸・茶湯・築庭・能楽・立花などの文化・芸能が普及して、かつすぐれた作品が数多く制作された時代で、この義政の頃に京で造られた漆器を東山時代物といい、工人として、五十嵐信斎、幸阿弥道長、幸阿弥道清などの名が知られています。
東山時代香合は、安政二年(1855)刊『形物香合相撲』では「世話人」に位置します。


『万宝全書』に「時代物也、此時代の蒔絵塗物梨地等その他もろもろの花奢道具之類は此東山殿時代最上とする也」とあります。
『茶道筌蹄』に「東山時代は義政将軍時代」とあります。
『工芸志料』に「後花園天皇の時に至て足利義政征夷大将軍に拝す、義政甚漆器を愛す、是の時に当て漆工の妙手多く京師に聚る、義政命じて器物を髹り且画がかしむ、是に於て工人各力を髹術に尽す、其の製出する所の者悉皆旧製の上に出ざる無し。後世此の際に製出する所の蒔絵及彩漆を以て画かける者を称して東山時代物といふ、足利義政を東山殿と称するを以ての故なり。」「宝徳年間足利義政征夷大将軍の職を辞し、京師の東山に退老し、大に点茶を好み、茶室を造り、号して東求堂といふ、而して天下の名器を集め、以て心目を慰め、其の好む所に随て諸器物を製す、其の器物今猶存する者あり、世人これを称して東山殿の器物(この器物の中に漆器の香合あり、蒔絵・梨子地等を以て装飾せしものなり)云ふ」とあります。

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