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鎌倉彫香合

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鎌倉彫香合

鎌倉彫香合(かまくらぼりこうごう)は、木地に文様を彫り、漆を塗って仕上げた漆器の合子を云ったもののようです。
鎌倉彫(かまくらぼり)は、鎌倉時代に宋の陳和卿が伝えた紅花緑葉を真似て仏師の康円が仏具を作ったのに始まると伝えられていますが、武家政権が誕生した鎌倉の地では、宋から来日した渡来僧蘭渓道隆(1213〜1278)が執権北条時頼からの深い帰依を得て建長寺(1253)を建て、息子北条時宗は宋から無学祖元(1226〜1286)を招き円覚寺(1282)を建てて初代住持とするなど禅宗寺院が建立され、同時に伝来した、漆を何層にも塗り重ねて文様を彫刻した堆朱(ついしゅ)や堆黒(ついこく)などの彫漆器が唐物の仏具として珍重され、このなかで仏像や仏具制作に携わっていた仏師らが、その木彫技術を用い彫漆に影響を受けて作成した木彫漆塗が鎌倉彫のはじまりと考えられおり、中国でも鎌倉彫と技法が同様の彫木塗漆のものに、堆紅(ついこう)、罩紅(とうこう)と呼ばれるものがありますが、鎌倉彫がその影響を受けたかどうかは定かではないといいます。
鎌倉彫香合は、安政二年(1855)刊『形物香合相撲』では「世話人」に位置します。

『実隆公記』長享元年(1487)八月小朔日に「一禁裏 堆紅盆(鎌倉物)一枚」、永正五年(1508)八月小朔日に「中将 十帖(ツクリ檀帋 美濃帋) 盆 香合(鎌倉物)」、同大永四年(1524)八月大朔日に「居盆(鎌倉物)」とあります。
『萬寳全書』に「鎌倉雕 雕物 唐物に似たれども、内のくり日本物と見ゆる也」とあります。
『茶道筌蹄』に「鴛鴦 妙喜菴松木を以て製す、左近作、原叟このみ老松割蓋と同木なり、原叟書付數三十七、又別に殘木にて天然うつし十三あり、合せて五十となる、千家に鎌倉雕あり其寫し也。」とあります。
『櫻塢漫録』に「鎌倉彫は、四條帝の御宇、運慶の孫(康運の男)康圓、陳和卿と共に法華堂の佛具を彫りたるを始とす、鎌倉彫は、康圓より康譽(康勝の男)、宗阿彌、浄阿彌相傳ふ、浄阿彌北条家の命により、寶戒寺の法具を彫刻し、五彩の繪具を以て塗る、これを木蘭塗といふ、これ鎌倉彫の変化したるものなりとぞ」とあります。
『遵生八牋』萬暦十九年(1591)刊「燕間清賞牋」に「民間亦有造者、用K居多工緻精美、但凡架盤盒春撞各物有之、若四五寸香盒以至寸許者絶少、雲南以此為業、奈用刀不善藏鋒又不磨熟稜角、雕法雖細、用漆不堅、舊者尚有可取、今則不足觀矣、有偽造者、礬朱堆起雕鏤、以朱漆蓋覆二次、用愚隸家不可不辨」とあります。
『髤飾録』に「堆紅 一名罩紅(一名假剔紅) 即假彫紅也灰漆堆起朱漆罩覆故有其名又有木胎彫刻者工巧愈遠矣。有灰起刀刻者有漆凍脱印者。(格古要論曰假剔紅用灰團起外用硃漆漆之故曰堆紅又曰罩紅{案}以灰堆起故曰堆紅罩籠也以朱漆包籠也)」 (堆紅 一名罩紅 すなわち、仮彫紅なり。灰漆堆起し、朱漆を罩覆す。故にその名あり。また木胎彫刻のものあり。工巧いよいよ遠し。灰起刀刻のものあり、漆凍脱印のものあり。)とあります。
『秇苑日渉』に「剔紅 剔紅或謂之雕紅。即雕漆也。僞造者曰堆紅、或謂之罩紅。俗通名堆朱。」とあります。

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