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唐津香合
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行司・頭取・勧進元 差添・世話人
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唐津香合(からつこうごう)は、肥前国(佐賀県・長崎県)に散在する諸窯で焼かれた合子を云ったもののようです。
唐津焼(からつやき)は、文禄・慶長の役(1592〜1593、1597〜1598)以降、豊臣秀吉が朝鮮出兵のおり連れ帰った陶工たちによるものといわれ、蹴轆轤(けろくろ)や割竹窯とも言われる唐津独特の連房式登り窯という新しい技術により、岸岳陶工や新たに渡来した朝鮮陶工たちによって操業されたと考えられており、初期の唐津焼は、李朝の雑器と全く同一とみられるものが多くあります。
唐津香合は、安政二年(1855)刊『形物香合相撲』では「世話人」に位置します。
『万宝全書』に「一、唐津焼物之事 肥前国なり△茶碗△水さし△水こぼし△花生△鉢皿 陶裏(とくり)の類あり、其中に古き茶碗花生に重宝の物あり、土色はざんぐりとすねたるやうにて薬につや少し有、くはんゆう有、大方は色薄もよびのあさぎにして鼠が丶りなる色なり、あかきたすき筋あり、かならずの事なり、惣して肥前焼の類、土かたくして何に用いてもつよし、諸道具多き中に茶碗茶壺は別してすくなし」とあります。
『茶家酔古襍』に「肥前唐津 古唐津、極古きを云、米斗、小眼、絵唐津、辻平戸等品々あり」とあります。
『陶器考』に「一、朝鮮唐津と云萌黄薬紫土と渋薬紫土の茶入とも世人窰印あるを以て唐津製とす、予は窰印あるを以て外国もののとす、右の茶入は織部御本なり、唐津の釜は持寄かまにあらす、窰印を付るに及はさるなり、土薬とも蛮物なり、日本人外国へ渡りて作り焼上りし上にて渡しも有へし、土薬を取よせて焼たるもあらん、唐津の土薬にあらす」「一、唐津の内、朱の土のねばきに光りたる白薬を、うすくかけたる茶碗片口皿猪口あり、掘出のまへの物を濃き茶を用て煮ること一日、忽しゆみを顕はす、是粉吹手の雑物なり、同土にてくはんにうあるは舟山なり」「一、瀬戸唐津は舟山の一種なり、黒白のまだら唐津、白と茶のまだら唐津舟山出来なり」「一、唐津焼 高麗左衛門に始る、奥高麗と称するものは朝せん忠清道の西北に唐津監あり、唐の船付にてこの地の焼物なり、土薬を見るに朝せんなり、古唐津は似て違へり。一、朝鮮唐津に二手あり、土薬ともに朝鮮の物あり、朝鮮物なり、唐津土朝鮮薬あり、朝鮮薬唐津やきなり、和訓同しき故に物を一つにしたる也、堀出し唐津の内より色々の蛮物を見出せり、と丶やもあり。一、日本昔はおもに外国の焼物を用ゆ、みな当坐日用につかうゆえに残る物まれなり、唐津は元唐よりの舩付なれは、持来れる品の内、われゆかみたる物をはね出して埋たる也、堀出し唐津の内、朝鮮・南蛮・呂宋・井戸の下手物みゆ、此品々も上手ものはしれとも下手ものを見知らぬ故也、其時のはねもの有ゆへ幸に古物の残れるなり、肥前の士長崎詰の茶漬茶わんとて珠光青磁を数持たるを近頃買来れり、是にて古来外国の品を用たる事明白也故に珠光青磁三しまのかけたらすも堀出すなり。一、唐津青磁からつ雲鶴とみゆるを割てみるに南はん土なり。一、唐津三しまは音和く高たい土見なり。一、沓鉢、薬青黒く土黒紫は南蛮なり、薬青白く土黄赤ましりは島物なり、唐津作は土赤く白き小なす有、平戸焼は白土なり。一、試に唐津物を集てこれを見るに、一分は朝せん、一分は唐津、二分は唐方、六分は呂宋なり、年久しく埋れたれは薬変すれとも焼直してみるに本性になれり、福州白薬のもの交れり。一、堀出し唐津を焼直して本の性に成たる品 呂宋 片口(青絵) 小皿 猪口 茶わん色々 安南黒絵小皿 此外見分たる品々は其国々へ出す」とあります。
『本朝陶器攷證』に「古唐津惣体造り上品なるものにて、薬も薄茶色赤み青み鼠色なり、すこしぬるき方なり、唐津色々手数多く書尽しがたし、作も色々面白き物多くあり、されど惣別下品なり、薬も茶碗には古唐津と違ひはなけれど、手鉢などには色黄薬青白などのくすり黒もあり、画唐津あり、香合水指茶入向附皿片口等、色々出来あり三島もあり。瀬戸唐津、惣体薄茶白色にて、貫入薬なり、白薄茶色ざんぐり土あらし、作は尋常なるもの、深きなりの茶碗すくなく、中平の方多し、茶碗目ありかひらぎもあり」「奥高麗 惣体造り高麗物の如くにて見事なるものなり、薬白茶色薄赤之色少し青み出来もあり、土も古唐津造りざんぐりと結構なり、一品の物にて高台作も違ひ見事なるものなり、格好よき茶碗はすくなく、大ぶりなる茶碗あり、見事なれども、大の方は少し下品 なり」とあります。
『茶道筌蹄』に「「形不定」とあります。
『目利口伝』に「瀬戸唐津は唐津の窯にて焼く、黄瀬戸の薬をかける也、白薬あり、此の時分の黄瀬戸薬ははや黄にあらず、白し、此手土あらき故せかい底の所土はくれあり」「朝鮮唐津といふは白き薬飛々に有、体朝鮮焼也」「絵唐津の手、香台念頃也、薄作も有、土少し荒目なり、青薬白薬はなし、形こもかへなりも有、香台半月形もあり、土重し、絵はなくても絵唐津の手也」「唐津はけ日、是に絵唐津の薬立にて、薬色薬也、はけ目有、火替りもあり、香台に薬かゝる、土少し荒方也、形こもかい形もあり」とあるといいます。
『工芸志料』に「光格天皇の御宇、唐津の城主小笠原某、工人に命じて肥後国八代の製に似たる白紋(白紋とは地を彫凹めて其の上に白釉を施して文をなすをいふ)にて雲鶴等を作しめ以て幕府に進呈す、幕府廃して後此の製廃す」とあります。
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