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新渡物香合

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行司・頭取・勧進元 差添・世話人

新渡物香合 倣日本都鳥香合之図

新渡物香合(しんわたりものこうごう)は、江戸中期以降に清国から舶来した合子を云ったもののようです。
新渡(しんわたり)は、「しんと」「しんど」などともいい、新しく外国から渡来したことの意で、日本に舶載された陶器等の時代区分の名称の一つとしては、中渡(後渡)の次で、今渡の前に当たり、一般的には江戸時代中末期の中国からの舶来品をいい、主に清朝の乾隆(1736〜1795)、嘉慶(1796〜1820)・道光(1821〜1850)の陶器等を呼んだもので、新渡の語が使われるようになったことで染付などは明代末期に景徳鎮窯で焼かれたものを「古染付」と呼ぶようになりました。
新渡物香合は、安政二年(1855)刊『形物香合相撲』では「世話人」に位置します。


『遊學往来』応安五年(1372)以前に「依十服茶之勝負、此聞方々人々、新渡之荘物令秘計、成一會事候」とあります。
『和漢雅品銘器秘録』に「一、七官渡 色不同出来あり、此渡りの道具品々あれども総じて作り厚し、然れども細工はよし、花入・卓・香炉・置物・向獅子・硯屏の類種々の形多し、中古の上作なり。一、七官中渡り 色出来とも不同あり、花入類種々あり、細工手際七官よりおとれり、然れども此中の上出来を七官と呼習はす。一、七官新渡 色出来同断、細工の出来中渡より又劣れり、此時花入・卓・香炉・硯屏類種々渡れども下作なり。」とあります。
『陶器考』嘉永七年(1854)に「一、諸焼物古と称するは、五百年以上、三四百年は只品を云てよし、遠州以来後渡りなり、百年以来を新渡と云てよし」とあります。
『青瓷説』に「萬宝全書に、七官渡・同後渡り・延寶四年渡・同五年渡りとあり、因て思ふに最初の渡は應永年間、足利義満公在世明使數々来りし時舶来せしにはあらぬ歟、後渡は天正文禄の頃ならん、其の故は信長公秀吉公茶事を好み、諸器物専ら舶来の物を玩ひ玉し故かくは思はるヽなり、其後延宝四年五年渡りしなり、此に中渡と云は天正文禄年間渡りしを云ひ、新渡と云は延宝年間渡りしを指て云なるへし」とあります。

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