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染附駅路香合
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行司・頭取・勧進元 差添・世話人
染附駅路香合(そめつけえきろこうごう)は、円形の中央を丸く抜いた環状(ドーナツ形)を横に割った形の染付の合子で、二本の竹枝が描かれているものです。草花に蝶絵などもあります。
駅路(えきろ)は、古代律令制において定められた都を起点に都と地方を結ぶ官道のことで、駅・駅馬の駅制が整備され、朝廷や国府からの使者である駅使のみが中央官庁或は地方国衙が発給した鈴を授けられて駅馬を用いることができ、この駅馬の供与を受ける資格を証明する鈴は、駅路鈴、駅鈴、駅路ともいわれますが、江戸時代には名のみ残り、中国で虎撑などと呼ばれる環状の鈴で馬につけた馬鈴のことをいうようになります。
染付駅路香合は、安政二年(1855)刊『形物香合相撲』では、「西五段目二十一位」に位置します。
『和漢朗詠集』に「漁舟火影寒焼浪。驛路鈴声夜過山。秋夜宿臨江駅 杜荀鶴(ぎよしうのひのかげはさむくしてなみをやき、えきろのすゞのこゑはよるやまをすぐ)」(漁舟(ぎよしう)の火(ひ)の影(かげ)は寒(さむ)くして浪(なみ)を焼(や)き、駅路(えきろ)の鈴(すゞ)の声(こえ)は夜(よる)山(やま)を過(す)ぐ)とあります。
『無言抄』に「驛路(むまやぢ) 同前、生類に打こしを嫌也。驛路とは唐には道すからに馬やあり。日本にも神功皇后の御時よりはしまれり。驛路の鈴とてふりならす事有。驛長おとろく事なかれと詠へる詩も、驛路にての事なり」とあります。
『和訓栞』に「◯えきろのすゞ 驛路の鈴也、禁秘抄に或は六角或は八角と見ゆ、日本紀及令にくはし、杜荀鶴か詩に驛路の鈴聲夜過山とみゆ◯世に稱する所のものは西土の虎撑也といへり、鹿島神宮に蔵す物は實形也」とあります。
『茅窓漫録』に「今俗にいふ所の驛路鈴といふは、駅馬の羈頭に付くる鈴をいふなり。駅路の鈴聲夜過山といふも、驛馬の鈴なりといふ。」とあります。
『雅俗漢語訳解』に「乕撑(コタウ) 〓云、過路医人所持銕圏。驛路鈴に柄をすげたる也」とあります。
『・・言』に「今驛路の鈴と覺居るものは唐土にて虎撑と云もの也、唐土にて醫者是を手指に挿み市中を振行く、人其声を聞き呼入て薬を求むる也、本邦にて按摩するもの小笛を吹き行くと同し、圖左に出す。近年此鈴を按摩もち振行 平之圖(図)徑り貮寸貮歩 横之圖(図)厚さ壹寸」とあります。
『高ねおろし』に「・々言に漢土の虎撑とて圖したなと、品字箋に金鈴以銅爲之と云を引て、輪の如き鈴といひ、驛路鈴三稲同名異物としたれど、唯古き鈴なり、驛路は勿論驛鈴と云べき驛字の徴無きを何とか爲ん、其中一種驛字と鈴字有るものは、驛鈴と云物なるべしと云てりなんのみ、此鈴も驛鈴と云名目を追ひて、後人の試造るならんも知るべからねをや」とあります。
『串雅内外篇』清趙学敏(1719〜1805)著に「負笈行醫、周游四方、俗呼為走方。其術肇於扁鵲、華佗繼之。故其所傳諸法與國醫少異、治外以針刺蒸灸勝、治内以頂串禁截勝。取其速驗、不計萬全也。手所持器以鐵為之、形如環盂、虚其中、置鐵丸、周轉搖之、名曰虎刺。乃始於李次口。次口、走醫也。常行深山、有虎噛刺於口、求李拔之。次口置此器於虎口、為拔其刺。後其術大行、名聞江湖。祖其術者率持此以為識、即名虎刺云三才藻異作虎撑。」とあります。
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