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茶筅

 

 
茶筅
武者小路千家
表千家
裏千家

茶筅(ちゃせん) とは、茶碗に抹茶と湯を入れ、それを撹拌するために用いる竹製の具です。
10センチほどの竹筒の先半分以上を細かく裂いて糸で編んだもので、その形は流儀や用途によってさまざまですが、表千家では煤竹、裏千家はじめほとんどの流派では白竹(淡竹)、武者小路千家では紫竹(黒竹)が使われます。
穂先の形状も流儀によりそれぞれ異なりますが、武者小路千家の茶筅は穂先が真直ぐになっており、外穂の先端を内に曲げる形状のものは、裏千家流で先端を曲げたことが始まりらしく、利休以降に出現したとおもわれ、官休庵流(武者小路千家)は利休形に最も近い形をしています。
ささら状で軟らかい「数穂」が薄茶用で、数穂の半数くらいの穂の数で堅くしっかりした穂先の「荒穂」が濃茶用、他に天目茶碗に使う「天目茶筅」、筒茶碗に使う「長茶筅」などがあります。
茶筅の語は、北宋徽宗皇帝の『大観茶論』(1107)に、「筅、茶筅以筋竹老者為之。身欲厚重,筅欲疏勁、本欲壯而未必眇、當如劍瘠之状。蓋身厚重、則操之有力而易於運用。筅疎勁如劍瘠、則撃拂雖過而浮沫不生。」(筅、茶筅は、筋竹の老いたもので作る。身は厚くて重く、筅は疏くて勁いのがよい。筅の本は壮く、末は眇くなければならない。そして剣脊状にすべきである。実が厚く重いと、操るときに力が入って運用いやすく、筅が疎くて勁く剣脊のようであれば、撃払がすぎても浮沫が生じないからである。)とあるのが初出とされますが、中国では15世紀明代に抹茶の衰退とともに茶筅も消滅してしまいます。
南宋の『茶具図賛』(1269)に「竺副帥」として載る茶筅の絵は、長くて外穂・内穂の別がないササラ状で、愛媛県のボテ茶、島根県のボテボテ茶、富山県のバタバタ茶、沖縄県のブクブク茶、鹿児島県のフィ茶など各地に残る茶漬けの一種「振り茶(桶茶)」で使用されるのものに相似したいます。
現在のような、外穂・内穂に分けられた茶筅は、山名弾正家の家臣で北野連歌会所宗匠でもあった、高山宗砌(そうぜい:〜1455)が、近くに住む称名寺の住職であった村田珠光の依頼で開発したといわれています。

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