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懐石

 

懐石

懐石(かいせき) とは、茶席で茶をすすめる前に出す簡単な料理です。
ふつう汁一種、向付・煮物・焼物の三種の一汁三菜とともに、飯と香の物が添えられます。これに加え強肴、吸物、八寸による酒のもてなしを加えて、懐石を終わります。
一汁三菜の「汁」には味噌汁に野菜・麩などの実を入れます。味噌は赤白の味噌を使う合せ味噌が一般的で、冬は白味噌で暖かくなるにつれ赤味噌を多くしてゆきます。
「向付」は、飯椀と汁椀の向こう置かれたことからこのような呼び方が生まれたといわれ、普通は魚のお造りが使われます。
「煮物」は懐石のメインとなるもので、澄し汁にて実には野菜・魚鳥の各種が使われます。
「焼物」には魚を主として用い、いずれの料理も、野菜・魚鳥ともに、その茶事の時期にあって旬のものを使うのが習いとなっています。夏の朝の茶事では一汁二菜(汁・向付・煮物)として、生ものを用いません。朝からは新鮮な魚が手に入らなかったためといわれます。
懐石の順番は、まずはじめに、折敷という足の付いていない膳に、飯碗、汁碗、向付をのせ利休箸を添えて、亭主が客へ渡します。
ご飯は炊き立ての、まだむれていないご飯が一口盛ってありますので、まずご飯を一口頂き、続いて汁を吸いきって蓋をします。
汁を吸いきる音を合図に、お酒が出てきます。
注がれたお酒を頂いてから、始めて向付に箸をつけます。
次に飯器が出て、空になった汁のお替りをします。
つづいて煮物が出ますので、まず一口賞味して中身を頂き、蓋をして下に置くと、銚子が出ますので、お酒をいただきながら再び煮物をいただきます。
強肴と吸物、さらに山の物と海の物を盛った八寸は、さらにお酒をすすめるための料理です。
最後に、湯桶に湯(おこげに湯をさしたもの)と香の物が出ます。
懐石を頂いたあとは、まず箸の先を懐紙で清めて折敷の右側に掛けます。
向付の汚れを懐紙で拭って折敷の中央向こう寄りに置き、飯椀、汁椀、飯椀蓋、汁椀蓋、盃と重ね、向付と真直ぐに整えます。
このあと、折敷の右側に掛けた箸を、一斉に折敷の中に落として、水屋にいる亭主に食事の終ったことを知らせます。
古くは、現在と異なり、汁、向、香の物、煮物が一汁三菜とされましたが、それに加え強肴、進肴が持ち出され、その中の一種である焼物と香の物とを一緒の器に盛って出し、やがて焼物を品数に数えるようになり、香の物は最後に出すのが普通となったといいます。
「懐石」の語の初出は『南方録』とされ、江戸前期までは「会席」(山上宗二記)、「献立」(宗湛日記)、「仕立て」「振舞」(天王寺屋会記)などの文字が使用され、一般的に使われるようになるのは井伊直弼(1815〜1860)の『茶湯一会集』以降の茶書とされます。
『南方録』に「懐石は禅林にて菜石と云に同じ、温石を懐にして懐中をあたたむるまでの事なり。」とあるように、禅院では本来「非時食戒」により、間食はもとより正午を過ぎたら翌朝まで一切食事をとってはいけないため、温石を布に包んで腹に入れ、腹中を温め空腹をしのいだことからの軽い料理の意で、谷川士清(1709〜1776)の『倭訓栞』に「くわいせき 茶人の客を請じて、茶より前に飲食を出すを恠石といふは、蘇東坡が佛印禅師に點心せんとて、恠石を供せられしによれり。」とあります。
『山上宗二記』に「紹鴎の時より十年前までは、金銀ちりばめ、二の膳、三の膳迄在り。」とあり、茶席の料理も本膳と異ならなかったが、『南方録』に「小座敷の料理は汁一つ、さい二か三つか、酒もかろくすべし。わび座敷の料理だて不相応なり。」とあるように、利休の頃より一汁三菜の簡素な侘びを主体とした料理を作りだしたとされます。

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