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金輪寺

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薄茶器

金輪寺(きんりんじ) とは、薄茶器の一種で、和物の塗物茶器の初めとされます。
胴は寸切りの如く、置蓋で、蓋の甲が丸みをもち、掛かりが少し外に広くなっています。こんりんじ、金林寺ともいいます。
小型の経筒を茶器に転用したとも、後醍醐天皇が金輪寺で使用した茶器ともいわれます。
『今井宗久茶湯日記書抜』天文24年(1555)4月1日の利休会に「キンリンシ茶入」とあり、江戸時代初期までは濃茶器として用いられましたが、のち薄茶器として使用されたとされています。
後醍醐天皇が吉野金峯山寺で一字金輪法を修せられたとき僧衆に茶を給うため、山中の蔦の古株で作られたという伝説があり、林宗甫の延宝9年(1681)序のある『大和名所記(和州旧跡幽考)』に、「実城寺 実城寺又は金輪寺ともいふ。後醍醐天皇の皇居にさだめられ、此の御代にこそ北京と南朝とわかたれて、年号なども別にぞ侍る。爰にして新葉和歌集などをえらび給ひ、又天皇、御手づから茶入れ十二をきざませ給ふ。或いは廿一ともいふ。そのかたち薬器にひとし。世に金輪寺と言ふこれなり。漆器と言ひながら勅作にて侍れば、盆にのせ、金輪寺あひしらひとて、茶湯前もありとかや。」とあり、足利義政・義昭、織田信長、大雲院と伝来した金輪寺茶器には、蓋裏に「勅」、底に「廿一内」という朱漆書がなされています。勅願の納経筒ではないかともいわれます。

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