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突上窓

 

突上窓

突上窓(つきあげまど)は、化粧屋根裏に切り開けた天窓のことです。
突上窓は、化粧屋根裏を、垂木を中心にして、垂木間一こま分切り開き、造り付けの木枠を組み込み、上部擦り上げの油障子を入れ、外に屋根地を葺いた覆戸を取り付けます。
突上窓は、開け方は、障子を屋根裏の中へすり上げ、覆戸を突き上げ、突上竿(つきあげさお)で支えます。突上竿は長短二種類用意され、明るさに応じて使い分けます。
突上窓は、北向道陳が始めたとされますが、諸説あります。

『茶道筌蹄』に「連子 突揚まど 北向道陳の好とも利休の好とも云ふ、おもやの雪を見るために道陳突揚まどを好むともいへり、突揚の木はかやぶきに用ゆ長短共杉の角、外に件翁好の長短木あり、風雨の強き節に用ゆ、竹は長短共たゝき屋根に用ゆ目を前にしてさかさまに用ゆ」とあります。
『茶話指月集』に「小座敷に衝上を明たるは道陳」とあります。
『嬉遊笑覧』に「遺老物語 永禄以来出来初る事種々の内、ぬれ縁、突上ケ窓、出来始りしハ天正の始泉州堺の津に北向道珍といひしわひずき屋敷狭うして窓を取へき処なき故にすき屋の屋ねを切破り明りをとりしなり」とあります。
『三百箇条』に「口伝曰、大和大納言殿郡山城中に数奇屋に御成のために被立候、大木の松の木の下にたてたる数奇屋にて、松を下より見る処能として、座敷の内より是を見度よしおほせられ候に付、引窓にして戸を引、利休あけられ候、此窓むかしは大和窓と申候よし、左近物がたりに被仕候、其後こまいを切、杖にて突揚候よし之事」とあります。
『茶伝集』に「突上げ、其町屋にて明り取べき様なく、屋根を切抜、明りを取たるを見て、夫より利休広さ格好を極て、数奇屋に仕候由被仰候」とあります。
『細川三斎茶書』に「突上も、町やにて明りも取やべ様なく屋ねをきり抜き、明りを取たるを見て、夫より利休広き格好を極めて、数奇屋に付よし御意なり」とあります。

     
外観   間取   天井   出入口
     
    台目構   水屋

突き上げ窓 突上げ窓 突揚窓

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