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水屋

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水屋

水屋(みずや)とは、茶室に付随する、点前や茶事のための準備をしたり、片付けをしたり、器物を納める場所です。
水屋は、「水遣」、「水舎」、「水谷」とも書き、「勝手」ともいいます。
水屋には、水皿(みざら)、水屋棚、物入、炉などが備えられます。
水屋は、茶室の大きさ、茶道口や給仕口の位置や露地との関係、流儀や好みにより、様式や配置など必ずしも一定ではありません。
一般的な水屋は、間口は台目幅の四尺五寸、奥行は一尺七八寸から二尺、高さは鴨居下の五尺五六寸程度で、竹の簀子を入れた流し(水皿)と、水皿の向うと左右三方の壁に高さ一尺四、五寸ほどの腰板を張り、その上に二段の棚、さらにその上に二重の釣棚を設け、水皿の左右いずれかの脇に物入、上部に棚あるいは天袋を設けることもあります。水皿の前は一尺から三尺くらいを榑縁(くれえん)張りとし、一部の板を切りこんで揚板にして床下に炭入をつくることもあります。
水屋は、茶室が成立しておらず、まだ「点茶する場所」と「喫茶する場所」とが分離していた会所、書院茶においては、必要な道具を配列しておく「茶湯棚(ちゃのゆだな)」が用いられていました。
茶室が成立した後も、千利休以前は、水屋という独立した場所はなく、書院の一部や縁側などに、器物を並べる棚をおいて使っていたと考えられています。
水屋は、利休が不審庵において初めて水屋流しや棚などの構えを試みれたと伝えられています。
利休の不審庵の水屋は、杉のヌメ板(通棚)、簀棚、二重小棚を仕付け、大きな水屋桶を据えたり水張口を設けるなどのために、ヌメ板、簀棚を途中で切った形のものでした。時代が下るにつれて棚は一文字に通して造られるようになりました。流しの脇に物入を設けるようになったのは、表千家八世啐啄斎からといいます。
水屋は、簡便なものとしては、移動することのできる置水屋、茶室の壁に造りつけられた水屋洞庫(どうこ)などがあります。

能阿弥の『君台観左右帳記』に「茶湯棚飾。一間の茶湯棚。是は御會所の御飾にて候。此外には色々取合て飾可有之候。」、『御飾記』には「御對面所之次。東のおちま。西の方北のひだりは一間。御茶湯の棚あり。」、「同西三間めしの御茶湯御座有。御釜白がね。御水差。水こぼし。こどうのかくれが。茶碗の物。御建盞の臺。御茶壷。文琳御うがひ茶碗。にようしう。基外茶碗のつぼ。漬物色々入て置る。」とあります。
『茶道筌蹄』に「水遣むかしはなし、縁側などにて仕舞し也、不審庵は水遣の始めなり。不審庵形、ヌメ棚、簀棚、二重小棚、何れもスギなり。ぬめ棚、簀棚共一方壁に付かず、今千家は両方共壁に付く、長棚は広間に添ふ水やりに用ゆ。同ひらき物入れ  啐啄斎好み塗縁もみ紙煮黒めの半月座金の打かけ」とあります。

水屋道具としては、水桶(みずおけ)、水壷(水屋瓶、水甕)、掻器(かいき)、水漉(みずこし)、茶巾洗(ちゃきんあらい)、薬缶(やかん)、片口(かたくち)、大口(おおぐち)、箱炭斗(はこすみとり)、釜据(かますえ)、板釜敷(いたかましき)、掴羽(つかみばね)、火箸(ひばし)、水屋鐶(みずやかん)、釜洗(かまあらい)、火吹竹(ひふきだけ)、火起(ひおこし)、台十能(だいじゅうのう)、底取(そことり)、半田(はんだ)、座掃(ざはき)、掃込(はきこみ)、塵取(ちりとり)、火消壺(ひけしつぼ)、炭切溜(すみきりだめ)、炭切形(すいきりがた)、茶掃箱(ちゃはきばこ)、茶匙(さひ)、小羽箒(こはぼうき)、茶漏斗(ちゃろうと)、茶篩(ちゃぶるい)、挽溜(ひきため)、茶通箱(さつうばこ)、茶臼(ちゃうす)、挽木箱(ひききばこ)、布巾(ちゃきん)、手拭(てぬぐい)、雑巾(ぞうきん)、掛灯台(かけとうだい)、花切溜(はなきりだめ)、花台(はなだい)、花水次(はなみづつぎ)、小刀(こがたな)などがあります。

     
外観  間取  天井 
     
出入口      台目構

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