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針屋釜

針屋釜

針屋釜(はりやがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、口造りは甑口で、肩は小振りの撫肩の釜です。
針屋釜は、越前芦屋作で、甑口に雷紋があり、遠山鐶付のものが本歌です。
針屋釜は、利休が好み形を切ってこの釜を写し針屋宗春に贈ったところからこの名があります。
針屋釜は、利休好は本歌にくらべて小振りで、肩に擂座があるものなどがあります。
針屋宗春は、利休の弟子で、京都上立売に住い、半隠斎と号し、慶長五年(1600)の奥書を持つ『宗春翁茶道聞書』の著者に擬せられています。生歿年不詳。

『茶道筌蹄』に「鍼屋 アシヤ作 鍼屋宗春所持、コシキの内に雷紋あり、鐶付遠山」とあります。
『大西家釜形図』に「同(利休居士好) 針屋釜 唐金すくひふた 針屋宗春好被遺候釜にて与二郎作」とあります。
『名物釜所持名寄』に「一針屋釜 針屋宗壽 藤村道壽 有馬涼及 中村吉右衛門」とあります。
『茶湯古事談』に「秀吉公或雪の夜、利休か侍座せしに、今よひ町に茶の湯すへきものハ誰そと御たつねあり、上立売に針屋か仕り侯ハんと申上る、左あらハ汝をつれて御成あらんとて、即剋御成ありし.其時の針屋は纔に四問間口の家にてありしとなん、此事前に記せし大晦日の事にや、又前の夜の事にや、今知るへからす、針屋か事にも異説あり、左にしるしぬ、針屋宗真方へ朝茶の湯に細川三斎、利休を招請するとて露地の外まて水打そゝき、戸も明かけ、何れ客待けしきなりしに、折節秀吉公 聚楽より伏見へ御成あらんとて御通り、不斗御目にとまり、御駕をとめられ、御たつね有しに、宗真と申者の宅にて、今朝ハ越中守、利休をまねき候由申上しかハ、かねて御聞及ひ被成し茶人也、幸のホなるほとに、茶師に御あひ被成んとて待合へ御入有しかハ、宗真急き御迎に罷出、数寄屋へ請し奉り、まつ釜をあけて炭を多くいれ、釜を勝乎へ取入、湯をすて、あたらしき水を入、ぬれ釜なから持出てかけ、扨三方に洗米・熨斗を添へて差上、会席なしに中立あそはされ、其間湯わきいつると御案内申上、御入ありて、小茶碗を持出て茶一掫ひ入て毒味せし、其小茶碗ハ勝手へ入、扨定法のことく御茶たてゝ上ぬ、殊の外御感あり、則知行百石、永代の御朱印にて下しおかれ今に領しぬ、扨御立ありし跡にて三斎・利休ヘハ料理出し、茶をたて出しぬ、此針屋今に家相続せしとなん 」「利休か手前ハ少しも目に立処なく、たて出しも仕廻も爰そあちしやと見たる事なく、すらり々々々とした事なりし、是そ凡慮をはなれし境ならんかと針屋宗真か常にかたりしとなん」「秀吉公御秘蔵の文茄の茶入ハ、元来上京の針屋宗春か所持なりしをめし上られしに、文琳とも茄とも決し難きほとに文茄と御つけあれかしと佐久間不干か申上られてより文茄と称せられし、是ハ天下に一ツにて 外になき物也となん」とあります。

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