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平蜘蛛釜
平蜘蛛釜(ひらぐもがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、平釜で、口が広く、胴部の丈が低く、直羽(すぐは)が大きく出て、底部も浅い形の釜です。
平蜘蛛釜は、その形が這いつくばった蜘蛛の姿を思わせるところからこの名があるといいますが、『茶湯古事談』には松永弾正所持のものに平蜘蛛が鋳出してあり湯が滾るにしたがい蜘蛛が這い回るように見えたといいます。
平蜘蛛釜は、その殆どが地紋がなく素紋のもので、芦屋の他、天命や京作にも見られますが、利休の時代には使われなくなります。
平蜘蛛釜は、透木釜として用います。
平蜘蛛釜は、漢時代の鍑(ふく)の様式が日本に伝来し、鍑(さがり)として一般炊飯用に作られていたものと考えられています。鍑(ふく)は、『説文解字』に「鍑 釜大口者」(鍑 釜の大口のもの)とあり、口が広い鍋状のものに足が付いた煮炊き用の器でしたが、漢代に竈(かまど)が普及するようになると足付のものが廃れ、小口で腹が張り出し、竈に掛けるための羽が付いた平底のものになったようです。
『正字通』に「釜大口者。按方言、鍑、北燕朝鮮間謂是錪、或謂之鉼、江淮陳楚間謂之リ、或謂之鏤、呉揚之間謂之鬲。又漢匈孥傳、多齎鬴鍑薪炭、註鬴?釜也。音覆。博古圖、周獸耳鍑、容五斗八升、口徑八寸六分、兩目連環、似釜而口斂、口上載鬲以熟物。漢獸耳鍑、容一斗四升、八合、口徑五寸、兩耳環與周鍑同。鍑似二甌俯仰合、甌邊稍著、上有小口。據此説、鍑當是小口者、説文訓釜大口、未詳考鍑形制故也」とあります。
『方言』に「釜、自關而西或謂之釜、或謂之錪」とあります。
『茶湯古事談』に「松永弾正久秀反逆し、大和国信貴の城に範りしか、信忠卿に攻詰られ 既に落城に及しかハ、天守へ上り、秘蔵せし平蜘といひし釜を打わり、下へなけ落し、微塵に砕き、其後火をかけ自害せし、此釜に平蜘鋳付て有しに、たきるに随ふてはひ廻る様に見へ、名高きもの也、信長公ふかく望まれしゆへ、死後に御手に入らん事をねたましく思ひけんとなん」とあります。
『山上宗二記』に「平雲 松永代に失候也、宗達平釜、藤波平釜二ッ、信長公御代ニ失也、但シ此三ッ釜ハ当世ハ在テモ不用」とあります。
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