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九輪釜

九輪釜

九輪釜(くりんがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、筒釜の口辺が甑口風になったもので、肩から短冊形の鐶付が耳のように出ている形の釜です。
九輪釜は、寺の塔の頂上を飾る相輪の部分である九輪の形を模した釜で、筒形の胴を九輪の中央を貫く心棒の部分である刹管(さつかん)に、鐶付を刹管を取り巻く笠上の輪である宝輪(ほうりん)を留める軸に見立てたものです。
九輪釜は、寺の塔の九輪の宝輪を落とし、宝輪を留める四本の軸のうち二本を打欠いて、残りの二本を鐶付として見立てて使ったともいわれ、四方の軸が残ったものや、軸のかわりに羽のついたもの、異なる鐶付を付けたものもあります。
九輪釜は、正平三年(1348)高師泰(こうのもろやす)が塔の九輪の宝形をはずして鑵子(釜)に鋳直したというのに因んだものともいいます。

『古今名物類聚』に「九輪釜 利休所持。一、口三寸八分。一、大サ四寸五分。耳付」「九輪風炉釜 一、口三寸八分。一、大サ四寸五分。耳付」とあります。
『藤村庸軒茶談』に「九輪釜 塔の九輪に鐶付を新敷鋳付て用也」とあります。
『茶湯古事談』に「釜と鑵子とは、一物二名なり、余りに近ひ事ゆへしらぬ人多く、太平記に堂の九輪をおろして鑵子に鋳たりしと云事も、何の事そやと云人多しとなん」とあります。
『太平記』巻二十六執事兄弟奢侈事に「夫富貴に驕り功に侈て、終を不慎は、人の尋常皆ある事なれば、武蔵守師直今度南方の軍に打勝て後、弥心奢り、挙動思ふ様に成て、仁義をも不顧、世の嘲弄をも知ぬ事共多かりけり、(中略)、今年石河川原に陣を取て、近辺を管領せし後は、諸寺諸社の所領、一処も本主に不充付、殊更天王寺の常燈料所の庄を押へて知行せしかば、七百年より以来一時も更に不絶仏法常住の灯も、威光と共に消はてぬ、又如何なる極悪の者か云出しけん、此辺の塔の九輪は太略赤銅にてあると覚る、哀是を以て鑵子に鋳たらんに何によからんずらんと申けるを、越後守聞てげにもと思ければ、九輪の宝形一下て、鑵子にぞ鋳させたりける、げにも人の云しに不差、膚窳無くして磨くに光冷々たり、芳甘を酌てたつる時、建渓の風味濃也、東坡先生が人間第一の水と美たりしも、此中よりや出たりけん、上の好む所に下必随ふ習なれば、相集る諸国の武士共、是を聞傅て、我劣らじと塔の九輪を下て、鑵子を鋳させける間、和泉河内の間、数百箇所の塔婆共一基も更に直なるはなく、或は九輪を被下、ます形許あるもあり、或は真柱を切れて、九層許残るもあり、二仏の並座瓔珞を暁の風に漂はせ、五智の如来は烏瑟を夜の雨に潤せり、只守屋の逆臣二度此世に生れて、仏法を亡さんとするにやと、奇き程にぞ見へたりける」とあります。

   
       

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