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四方釜

四方釜

四方釜(よほうがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、胴部が四方形をした形の釜です。
四方釜は、古くは芦屋釜や天命釜にも見られますが、千利休が好んで辻与次郎に鋳させて以降、弥四郎、藤左衛門などの釜師により多く作られます。
四方釜は、利休が晩年に頻繁に用い、『利休百会記』によると芦屋作の「利休四方釜」が百回中七十三回使用されたといいます。
四方釜は、利休が古い芦屋釜の蓋に合わせて好んだ古浄味作と伝えられるものは、利休のあと少庵、宗旦と伝わり、宗旦から山田宗徧に譲られ、鬼面鐶付に真鍮の常鐶が付き、鉄の蓋は掻立鐶で、宗旦の四方庵宛の茶杓、翠厳宗aの四方庵の額、釣釜用の鉉、宗徧作の利休好の自在などが添い、内箱に宗旦の書付、箱底に宗徧の極書があります。
四方釜は、大きいものは少庵好み、小さいものは宗旦好みとされ、原叟好みは角釜と称されています。
四方釜は、弁釜、角釜、算木釜、観音寺四方釜、井桁釜なども形状としては四方釜になります。

『茶道筌蹄』に「四方 クリ口、鬼面、真チウ平鐶、箆カツギ少し切カケ、大は少庵このみ、小は元伯このみ、トモ蓋、シヒツマミ、当時写し、大は石目蓋なり、古作はトモ蓋と唐金、石目、花の実、鋳ぬきツマミもあり又唐金蓋もあり」とあります。
『茶湯古事談』に「四方釜も利休このみにて始て鋳させし、去人所持の利休か自筆の文 四方釜うけとり申候、与次同道にてはや御出可有候、心み一服可申候、かしく 易 下 道印」とあります。
『名物釜所持名寄』の京作釜に、與次郎作「一四方釜 九文字屋吉右衛門 瓦本吉右衛門」、彌四郎作「一四方釜 小形羽あり 大文字屋宗碩」、藤左衛門作「一四方釜 萬代屋形 同(阪本周斎)」「一同(四方釜) 萬代屋形ト云 高宮庄右衛門 但シ尾タレ」、浄味作「一四方筒釜 光悦好 浄味ト文字 阪本周斎」、與次郎作「一四方釜 利休宗旦所持 石川自安 後藤松斎所持 今西尾隠岐守様」「一四方釜 大黒庵ト文字有 桑名」「一四方釜 白粉屋善兵衛 今江戸二在」とあります。
『釜師由緒』に「京作は利休時代、京師天下一辻与次郎と号、藤左衛門、弥四郎、利休釜形付始て鋳、道仁が弟、阿弥陀堂、雲龍、四方釜は与次郎作、尻張釜は弥四郎、丸釜は藤左衛門、其後三人して種々形釜を鋳る」とあります。
『逢源斎書』に「四方釜之事、少望ニ而易へ被申、紙形切候て、旦へ則渡し被申候、ふたはからかね、しゆかいのやうニ上へ高キふた也、此ふた宗恩御ほり出し被成候、則其ふたあわせ、紙形御切候、紙形ニは六寸四方と書付、かたまろく能このミ候ばてはなるましきと、少と書付、易印判在之、此紙形少ニ尤在之、表具致、釜之ツいニ被成候處、中比ニさせいわみと申人に少御やり被成候、右之事旦能々切々御咄ニ候、扨毛利甲州殿へ茶之湯ニ宗左参候へハ、くさりの間ニ此紙形之墨蹟掛ル、今日は宗左ニ見せ候半と存、掛候と甲州被仰候、内々宗旦咄ニ少もちかい不申候、表具は紙表具ニ候、扨又右之紙形ニ而、少釜屋弥介と哉らん申候ニいさせ被申候へハ、かたまろくの所少気ニ不入候へて、九ツと哉らんいさせ候一ツ一ツあしきとて、たい所ニ而ウチワリ候、わりては五介ニ而御座候、あるとき七ツ八ツめノ釜大かたニは候へ共、あしきとて又わり候へと五介ニ被仰候所、其五介畏候とて、取て置候、たた今宗左ニ在之釜、八ツメの釜なり、大形九ツめの釜ニ能に申候、七ツめの釜は山しな宗甫在之候、九ツめの釜、少切形ニ能似申候とて秘蔵ニ、尤易も御覧可有候、後藤少斎京へ隙ニなり候て上り、旦へ茶熱心ニ而易流候とて釜もらい申候、代銀百メ礼ニ越申候、四方釜之根元ニ候、尾州様ニ壁庵と申いしや御座候、此人京ノ人ニ而旦へ年来熱心ニ候、四方釜之由被申、五介所之釜取候て、壁庵へ被遣候、礼ニ銀子上り申候、扨右之釜、少庵へ参候故、壁庵へ宗左申候へて釜所望致、又壁庵へ礼ニ銀子遣候、五介と申候は法体致候而宗助と申候、少ニ召連候物ニ而候、細工、料理致候」とあります。

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