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腰掛

飛石 蹲踞 腰掛 石燈籠

露地

腰掛(こしかけ) とは、露地に設けられた休息所のことで、腰掛待合(こしかけまちあい)ともいいます。
茶事のときに、客が亭主の迎付や、中立のとき再び席入の合図を待つための場所で、中門を境にして外露地と内露地にわかれた二重露地の場合には、外露地の外腰掛と内露地の内腰掛があり、外腰掛はこれから茶事が始まる時の席入の前に亭主の迎えがあるまで待つ場所として、内腰掛は懐石のあといったん茶室を出る中立のために使われます。
腰掛は、柿葺や杉皮葺の片流れの屋根で、三方に壁を建てて内部に腰掛縁を設け、その前に客が足をのせる踏石が据えてあるものが多いようです。
踏石は、正客座に据えられた正客石と、次客以下との相客座に据えられた相客石とに区別され、正客石を若干高く据え、次客以下の相客石は畳石にしてあるものが多くあります。
腰掛には、円座(えんざ)を重ねて置き、莨盆(たばこぼん)を置きます。冬は手焙(てあぶり)も置かれます。
腰掛には、すべて板張りの場合と、半分畳の敷かれている場合がありますが、畳は正客用で、この場合正客は円座は使いません。
昔は露地に腰掛はなく、客は来次第、直に茶席に入っていました。
『和泉草』に「古来は路地なしに、表に潜を切開き、座敷に直に入たる也。」とあります。
千利休の時代には、外露地と内露地がまだ分かれていない一重露地で、腰掛も露地口の脇に質素なものがあったといいます。
江戸時代になって、二重露地が作られるようになり、外露地に待合が設けられ、やがて待合が母屋の中に設けられるようになり、露地にあるものは腰掛待合と呼ばれるようになったようです。
『茶式湖月抄』に「利休の時代は、何方も一重露地なり。往還の道路よりすぐに露地の大戸を開き内にいり、大戸のきわに腰掛あり、板縁または簀子等の麁相なる仕立なり。露地草庵みなこれ侘の茶の湯なれば、誠に中宿のやすらひ迄なり。其の後古田織部正、小堀遠州等にいたつて、万に自由よきやうとて堂腰掛などいふもの出来て、衣装等をも着更しなり。よつて衣装堂ともいふなり。家来従臣も、ここまては自由に往来なすがゆへに、今は一重うちに塀をかけ中傴を構へ此内にまた腰掛をつけ初入に主中くぐりまで迎に出る。」、石州『三百箇條』に「外路次といふ事、昔ハ無之也、利休時分ハ少腰掛なとして待合にせしとなり、金森出雲守可重虎の門の向に屋敷有之、台徳院様(徳川秀忠)へ御茶差上候時に、始て待合を作りしと也、是より待合出来始候」とあります。
『茶道筌蹄』にも「外露地を待合といひ、内露地を腰懸といふ」とあります。

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