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棗棗 中次 金輪寺 棗(なつめ)
とは、薄茶器の一種で、最も一般的に使われているものです。 棗という名前は、黒梅擬(クロウメモドキ)科の植物の棗(ナツメ)の実に形が似ていることに由来しています。 他の薄茶器にくらべて、全体として丸みをもち、上が広く、下がやや細くなっています。 村田珠光(1423〜1502)時代の塗師・羽田五郎(生没年不詳)が、初めて棗形茶器を作ったとされ、武野紹鴎(1502〜1555)が好みとして用い紹鴎在判(糸底に花押)の黒小棗(紹鴎棗)が伝わっていますが、「棗」が記録に現れるのは、『今井宗久茶湯書抜』の永禄7年(1564)8月20日の津田宗達の茶会で用いられたのが初例とされます。 棗が塗物茶器として確たる位置を占めるのは千利休(1522〜1591)の時代からとされます。棗は、珠光棗、紹鴎棗、利休形棗と次第に寸法が小さくなっています。 『源流茶話』に「棗は小壺の挽家、中次ハかたつきのひき家より見立られ候」
、『槐記』に「大体棗は、茶入の挽家也」、『正伝集』に「棗の茶入は、茄子の化也」とあり、一般的には、元来は文琳や茄子系の茶入の「挽家(ひきや)」(中に入れる茶入の形に轆轤で挽いた木地に漆塗りした容器)の形が棗とされます。 現在では、利休形棗と呼ばれる棗が定型となっており、大棗・中棗・小棗の三種があり、小棗は濃茶用、大棗は薄茶専用、中棗は兼用とされます。小棗を濃茶に用いるときは無地棗を用います。 その他、棗系の薄茶器には、大棗を平たくした「平棗」、小棗を上下に引き延ばした「長棗」、中棗で上部よりも下部の方が膨らみを帯びた「尻張(しりはり)棗」、中棗で胴が張った「胴張棗」、碁石を入れる容器に似た「碁筒(ごけ)棗」、まん丸い形で毬棗の別名がある「丸棗」、小棗で蓋から底へかけて次第に膨らんでいる尻張形で五本の指で上から鷲掴みに取り扱う「鷲(わし)棗」、中棗と平棗の中間の寸法で白粉を解く容器を利用したことに始まる「白粉解(おしろいとき)棗」などがあります。また、好み形により種々の名がつけられています。
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