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床柱

 

床柱 赤松皮付 絞丸太 磨丸太

床柱(とこばしら)とは、床の間の脇に立てる、座敷のほかの柱と樹種や形状などを変えた、化粧柱のことです。
床柱は、広間などのいわゆる真の座敷では面取りした角柱が用いられ、草庵の小間では角材を用いず主として径三寸位を標準として、幹回りに縦に波状の皺(しぼ)をつけた「絞丸太」(しぼりまるた)、樹皮を剥いて磨いて丸太の面を出した「磨丸太」(みがきまるた)、樹皮をつけたまま磨いた「皮付丸太」(かわつきまるた)、面を手斧(ちような)で削(はつ)った「名栗」(なぐり)、梅雨時期に伐採し甘皮を残さないように皮を剥ぎ黒褐色の斑点状の錆をつけた「档丸太」(あてまるた)、竹などが用いられます。
角柱は、檜(ひのき)の柾目(まさめ)を大面取りしたものが式正とされ、芯去材(しんさりざい)の柾目の角柱ではそのほかに、赤松(あかまつ)、栂(つが)、杉(すぎ)、欅(けやき)、桐(きり)、唐松(からまつ)、唐檜(とうひ)、樟(くすのき)などがあり、芯持材(しんもちざい)では、楓(かえで)、桑(くわ)、花梨(かりん)、黒柿(くろがき)、黒檀(こくたん)、紫檀(したん)、一位(いちい)、槐(えんじゅ)などがあります。
絞丸太(しぼりまるた)には、北山杉(きたやますぎ)や吉野杉(よしのすぎ)などがあります。
磨丸太(みがきまるた)には、北山杉(きたやますぎ)、吉野杉(よしのすぎ)、榛の木(はんのき)、桫欏(へご)、鼠刺(ねずみさし)、梅(うめ)、栗(くり)、夜叉五倍子(やしゃぶし)、五葉松(ごようまつ)、えごのき、樫(かし)、柏(かしわ)、椎(しい)、檳榔樹(びんろうじゅ)、赤四手(あかしで)などがあります。
皮付丸太(かわつきまるた)には、赤松(あかまつ)、櫟(くぬぎ)、桜(さくら)、梅(うめ)、椿(つばき)、辛夷(こぶし)、百日紅(さるすべり)などがあります。
床柱は、通常は掛花入を掛けるために「花釘」(はなくぎ)と呼ばれる折釘を打ちます。 花釘の高さは、広間で四尺内外、小間では三尺六寸内外、およそ床框と落し掛けとの間の三分の二くらいの所に打つのが基準とされますが、床により異なります。
床柱 筍面

床柱は、丸太の畳縁(たたみぎわ)を柱の太さの二〜三倍の高さまで削って木目を出して納めることがあり、その形から「筍面」(たけのこづら、たけのこめん)と呼び、筍(竹の子)を作るともいい、木目の数を奇数とするのが定法といいます。
床柱は、床の間の反対側の柱を「相手柱」(あいてばしら)と呼び、床柱と一対のものとして扱い他の座敷柱と樹種や形状などを変える場合もあります。
床柱は、床の間の両側に立てる柱に特別なものが用いられるようになったのは利休晩年に丸太柱を用いるようになってからといい、当時は床柱と相手柱の二本の柱をともに「床柱」として「二本柱」と呼び、また「勝手寄りの床柱」「床脇の柱」「とこの中柱」などと呼びわけており、二本を組にした対の柱として考えられていて、後のやうに床柱として一本だけを重きを置くようになったのは江戸時代中頃過ぎのことと考えられています。

『茶道旧聞録』に「床柱は皮付に取りかへられしは、古織の物数寄なり、中柱の皮付は利休より入れられしなり」とあります。
『利休客之次第』に「一、心を付けて見る次第、こまかには書のせがたし、(中略)、大目柱、おとしかけ、床ふち、二本柱、ちがひ棚、かやうの体をよく見る也」とあります。
『細川三斎御伝授書』に「利休か堺にては松の角柱に色つけず、上り口一間半四枚の障子、勝手二枚障子、道幸の上葭へい也、床一間は鳥の子の白張、黒縁を打候」「床柱の松と栗は、何を左右にたてゝもさし合なし、其中世間に多く立るは少面白と被仰候」とあります。
『茶譜』に「千宗易曰、古より歴々茶湯を玩来ども、茶の道は侘度こと也と云て、昔の松角柱を立しを、松の皮付柱に仕替、又は杉丸太を立、端板を取りて、座中床の中まで壁塗にして、其壁の上塗土に、長すさと云て、四五寸ほどに藁を切、朽らせ和て土に塗こみ、壁にさびを付ると云て、黒くふすもるやうに見せ」とあります。
『山上宗二記』に「丸柱 女松皮かつき、同栗の木歟」とあります。

     
外観   間取   天井  
     
出入口     台目構   水屋

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