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床壁

 

張付壁 密庵

土壁 待庵

床壁(とこかべ)とは、床の間の内壁のことです。
床壁は、紹鴎時代までは、襖のように下地枠を壁の大きさに合わせて作り、骨を組み、下張り、中張りをし、袋張りをして、鳥子紙(とりのこがみ)などで上張りをし、周囲を四分一(しぶいち)という黒漆塗の細い押縁で押えた「張壁」(はりかべ)または「張付壁」(はりつけかべ)と呼ばれる紙張りの壁でした。
床壁は、茶室の草庵化に伴い、紹鴎が座敷の壁を土壁としたものの床の中だけは張付壁を慣わしとしていたのを、利休が床の間の中も土壁に改め、これによって茶室の中はすべて土壁となります。
床の間の正面の壁を「大平」(おおひら)といい、古くは「おおべら」と呼び、今でもそのように呼ぶ向きもあります。
大平壁(おおひらかべ)は、掛花入を掛けるため中央に「中釘」(なかくぎ)または向釘(むこうくぎ)と呼ばれる折釘を打ちます。

『南方録』に「四畳半座敷は珠光の作事也。真座敷とて鳥子紙の白張付、杉板のふちなし天井、小板ふき、宝形造、一間床なり。」「紹鴎に成て、四畳半座敷所々あらため、張付を土壁にし、木格子を竹格子にし、障子の腰板をのけ、床のぬりぶちを、うすぬり、または白木にし、これを草の座敷と申されしなり。」とあります。
『茶譜』に「千宗易曰、古より歴々茶湯を玩来ども、茶の道は侘度こと也と云て、昔の松角柱を立しを、松の皮付柱に仕替、又は杉丸太を立、端板を取りて、座中床の中まで壁塗にして、其壁の上塗土に、長すさと云て、四五寸ほどに藁を切、朽らせ和て土に塗こみ、壁にさびを付ると云て、黒くふすもるやうに見せ」とあります。
『細川三斎御伝授書』に「利休か堺にては松の角柱に色つけず、上り口一間半四枚の障子、勝手二枚障子、道幸の上葭へい也、床一間は鳥の子の白張、黒縁を打候」とあります。
『江岑夏書』に「大徳寺門前に利休屋敷取被申候、先少庵、堺より上り被申候、屋敷取候て、茶之湯少庵被致申候、青竹ふた置なと其時被致候へは、堺より、めんよの数寄者上申候と、京衆申候て、茶を皆望申候、其巳後宗易上被申候、不審庵と申額打、四畳半の座敷被致候、其時初而たゝみ石被致候、さがのてん龍寺に西方寺に在之、宗易上被申候ての事也、其四畳半五尺床也、うすすみ色のかみにて皆はりつけなり」とあります。
『茶道筌蹄』に「室 利休形、二方天井まで塗り廻し、妙喜庵のトコ是なり」「土 ムロ床の廻りにて畳の所も土にてぬり其上を紙にて張るなり、土斎へ元伯好遣すなり」とあります。
『天王寺屋会記』弘治二年(1556)十二月二十一日薩摩屋宗椿会に「一、大へらに庭鳥之絵懸候」とあります。
『烏鼠集』に「紹鴎には、大ひらにちいさき折くき二有」とあります。

     
外観   間取   天井  
     
出入口     台目構   水屋

大平 おおひら おおべら 大平壁 おおひらかべ おおべらかべ

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