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菊絵曲水指

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菊絵曲水指

菊絵曲水指(きくえまげみずさし)は、木地曲水指に胡粉(ごふん)で菊の置上(おきあげ)をしたものをいいます。
置上(おきあげ)とは、起揚とも書き、絵具や胡粉を膠(にかわ)で溶いたものを塗り重ね盛り上げて絵付けすることをいいます。
菊置上木地曲水指は、利休が禁中で正親町天皇に茶を献じる際に好んだとされ、足無しの木地曲水指に菊の置上が施されています。
菊置上木地曲水指は、宗旦が三つ足の木地曲の蓋から身にかけて大きな菊の文様を濃絵にしたものを好んでおり、東福門院に献茶をしたものではないかともいわれます。
菊置上木地曲水指は、水に濡らさずに用います。

『茶道筌蹄』に「曲 利休形に少庵足をつけたる也、胴のとぢめは前、蓋のとぢめは向也、風炉には不用」「同菊絵 正親町天皇へ利休進献の内」とあります。
『顕如上人貝塚御座所日記』に「一、同日(天正十三年十月七日)、京都には、秀吉公御沙汰にて、禁中に御茶湯あり、雖無其例、当時秀吉公此道御執心之故也、宗易を利休居士になされ、禁中も小御所にて御茶たつるなり、枝□座敷を利休差図にて立られと御飾あり、御棚のうち釜(小あられ)・水差(えん桶)・枇杓差(くるみくち)・蓋置(かねのもの)、これら四くみと云、此外に青楸絵(玉澗)・虚堂墨蹟(生嶋)・合子・かふらなし・似たり小壺・砧(大壺)、已上十種御進上之御進物相遺、惣別秀吉公御所持の名物共、不残広間にをきあはせられて、被備叡覧訖、今日之御興行は四十斛・松花此両四丁御茶口切也、御前の茶は秀吉公たてらるヽ、御自分は御のみなし、御手なか季晴公、天子様 御方御所 若宮御方 伏見殿 龍山(近衛入道御所) 秀吉公 門跡(一人) 以上七人 御茶まいらせらる事菊亭晴季公」とあります。
『和漢茶誌』に「又有曲水指者、以杉片屈曲、其厚三重、蓋亦同以杉爲之、猶古之捲杉合子、而高凡四寸八分、受水一升半、其水未満十分爲雅、源出珠光之所造建水也、紹鴎之時、固有此器、然宗易損益之以伝之、其製内漆筋三行、外以桜皮縫之、底設三足、内外倶質、又曰、宗易嘗献朝廷、以粉画白菊添青葉、蓋権時之製也、或曰、其孫元伯禁之也、師曰、此器用之不宜於夏不宜於寒、春秋所用器也、亦可思焉耳」(また曲水指という者あり、杉片を以て屈曲す、其の厚さ三重、蓋も亦た同じく杉を以て之を為す、なお古の捲杉合子のごとし、而て高さ凡そ四寸八分、水一升半を受く、其の水未だ十分に満たざるを雅と為す、源珠光が之を造る所の建水に出る也、紹鴎の時、固より此の器あり、然も宗易益そ之を損以て之を伝う、其の製内漆筋三行、外桜皮を以て之を縫う、底に三足を設け、内外倶に質、また曰く、宗易嘗て朝廷に献ず、粉を以て白菊を画き青葉を添う、蓋し権時の製也、或は曰う、其の孫元伯之を禁ずるなりと也、師曰く、此の器之を用うこと夏に宜しからず冬に宜しからず、春秋用る所の器也、亦た思う可き焉耳)とあります。

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