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仁清水指
仁清 乾山 空中
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仁清(にんせい)は、野々村仁清(ののむらにんせい)といい、生没年は不詳ですが、江戸時代初期の慶安(1648〜1652)から延宝(1673〜1681)のころに活躍した陶工です。
野々村仁清は、名は清右衛門、通称清兵衛、号を仁清といい、丹波国桑田郡野々村から京都の粟田口(あわたぐち)にやってきた丹波焼の陶工と伝えられています。
仁清は、京都の粟田口や美濃の瀬戸で製陶を学び、その後京都に戻り、寛永年間、覚深法親王が仁和寺を再建した際、仁和寺のためにやきものを焼く窯を求めていたのに関わっていた金森宗和に認められ、仁和寺前に窯を築き、御室焼(おむろやき)と称します。御室(おむろ)とは仏門に入った貴人の僧坊をいい、仁和寺は宇多天皇が退位後の御所として以来御室とも呼ばれていましたが、やがて仁和寺周辺の地名となります。
仁清の号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」をとって門跡から与えられたもので、万治二年(1659)には姓を野々村とします。
仁清は、おもに茶匠金森宗和の依頼によってつくられた茶器類が多く、狩野派や土佐派の画風・漆器の蒔絵などを取り入れ、金銀を使った優美華麗な意匠の絵付と神技ともいえる轆轤の妙による造形が特徴で、のちに「京焼」として受け継がれます。
仁清の水指は、色絵菊水図水指(滴翠美術館蔵)、色絵竜田川図水指、色絵柳橋図水指(湯木美術館蔵)、色絵牡丹図水指(東京国立博物館蔵)、色絵梅花図平水指(石川県立美術館蔵)、色絵菊花図水指(野村美術館蔵)、金襴手四方水指(香雪美術館蔵)など色絵の華やかなものと、銹絵山水図水指(東京国立博物館蔵)などの錆絵や白釉耳付水指(出光美術館蔵)など白釉一色のものがあり、色絵は大名家の注文品で、銹絵や白釉は公家屋敷跡から多く発見されるところから公家好みではないかといわれています。また、白釉獅子摘蓋砂金袋水指(湯木美術館蔵)、信楽写兎耳付水指(三井記念美術館蔵)など、いわゆる仁清信楽と呼ばれる信楽土を用いたもの、瀬戸、唐津、丹波、南蛮写しのものなどあり、器形も管耳・弦耳・片寄口・瓢口・臼形・砂金袋・手付など多岐にわたります。
『仁和寺御記』慶安三年(1650)十月に「丹波焼清右衛門来ル」とあります。
『佐野伝書』に「仁清ハ尾州瀬戸ニ永ク居候テ茶入焼稽古致候由被申聞候」とあります。
『茶道筌蹄』に「仁和寺村清助を畧の仁清と云、又御室焼と云」とあります。
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色絵菊波 | |
色絵竜田川 | |
色絵柳橋 |
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色絵牡丹 | |
色絵梅花 | |
色絵菊花 |
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金襴手四方 | |
銹絵山水 | |
白釉耳付 |
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白釉雪月花 | |
獅子摘砂金袋 | |
信楽兎耳 |
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信楽写手付 | |
瀬戸釉臼 | |
南蛮写管耳 |
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