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志野棚

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志野棚

志野棚(しのだな)は、中板が違棚で、左下が倹飩蓋(けんどんぶた)の地袋、右上が棚板で、脇板が香狭間透(こうざますかし)となっている、利休好みの桐木地の大棚です。
志野棚は、「利休袋棚」(りきゅうふくろだな)、または単に「袋棚」ともいいます。流儀により呼び方が違います。
志野棚は、香道の志野宗信(しのそうしん)が、文房具や化粧道具を置くために平安時代以来用いられていた厨子棚(ずしだな)をもとにして、香道具を飾るために桑で作った香棚を、利休が桐木地で好んだと伝えられます。
『茶道筌蹄』に「袋棚 利休形 桑の志野棚を桐にて写したる物なり、桐は利休形、溜は啐啄斎このみ」とあります。
『茶湯古事談』に「志野棚ハ元来香の家たる志野家の香棚なりしを、利休かり用ひしより今に伝へて遺ひぬ、志野家の伝にも香の茶のゆの伝ありとなん」とあります。
『和泉草』に「桐之木地に而四本柱にして、中段左之方半分かこみ、掛はずしの戸也、紹鴎香之手道具を飾、ミヅシの棚を本にして好也、紹鴎香をきく事自慢に而、此棚を作り出すと云伝也、紹鴎庵室を大黒庵と云を、此棚の異名に云しと也、大黒は袋を愛するを以、如此之異名なりと云、又一説、御城方之御番衆大きに袋を拵、臥具其外色々道具を取入、用を達する袋なるに依て、袋だなと云共有り」「利休好の袋だなは二本柱にして中段押通し棚物なり、其外戸一本にして掛はづし也、又二枚之襖障子もする也、此棚居士(千利休)作せし後、紹鴎の袋棚は、桐の違棚と世上に云し也」とあります。
『茶伝集』に「袋棚は、本来の袋棚有、今紹鴎棚といふ」「後の袋棚は、志野宗信が香棚を鴎作分して用、台子及台にも劣らず、万曲尺の調たる棚也、桐の白木又薄ぬり有、休(千利休)も好み用、鴎の好の第一の棚なれば、休も桐を重くされしと也、香方の袋棚は、ランカンなど有て違ふ也、香サマンノスカシも宗信が好といふ」とあります。

     
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