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蹲踞

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露地

蹲踞(つくばい) とは、茶事の時、客が席入する前に手を清め、口をすすぐために置かれた手水鉢と役石などを含めた意匠の総称です。
蹲踞の名前は、手水を使うとき「つくばう」ことに由来しています。
蹲踞は、一般に「手水鉢」(てみずはち)に、客が手水を使うために乗る「前石」(まえいし)、湯桶を置く「湯桶石」(ゆおけいし)、灯火を置く「手燭石」(てしょくいし)の役石と、「水門」(すいもん)別名「海」(うみ)で構成されています。
手水鉢を低く構え、左右に湯桶石と手燭石を配し、前石を据えるのが定式とされています。
流儀によって役石の配置は違い、武者小路千家と表千家は左に手燭石、右に湯桶石を配し、裏千家はその逆に配します。
蹲踞を使うのは、亭主の迎付を受けたあと、正客から順に蹲踞に進み、右手で柄杓に手水鉢の水をたっぷり汲み、柄杓半分の水で左手を清め、持ちかえて残りの水で右手を清め、再び右手に柄杓を持ちかえ、水を汲み左手に水を受け、手に受けた水で口をすすぎ、最後に残った水を静かに柄杓を立て流しながら柄杓の柄を清め、元に戻します。
宝永七年(1710)『貞要集』に「一 手水鉢の事、内腰懸より躙上りの間に見合居る、臺石を載せ居るなり、地より二尺四五寸迄、前石は景よく大成石を居る、前石の上面より手水鉢の上端迄、一尺より一尺五六寸迄、又前石の前面より手水鉢水溜の口迄、一尺八寸、一尺六七寸迄、柄杓を置見申、遣能程に居申事第一也、水門は両脇景能石を居、松葉をしき、流上に水はぢきの小石、又は小瓦杯置申候、道安流の水門仕様有之候、口伝。一 湯桶石、手水鉢我右の方水門へ掛て居ル。其前に相手の石とて居ル也、是は高貴の相伴のもの、御手水懸申時の為に居る石也。又手水鉢中潜軒下、躙上り軒下に居る、雨降候時の為とて、近代軒下に手水鉢居ル事也。一 手水鉢水溜を掘申寸法は、横六寸八分、竪は一尺一寸、深サ七寸二分、飯櫃に丸ク堀申候、是は大きなる鉢の寸法也、小キ鉢には七八寸九寸丸ク堀り、深サ六七寸程に堀申候、尤見合第一、また丸鉢には水溜角に堀申事も有。」、寛政11年(1799)越一楓『夢窓流治庭』に「蹲踞手水鉢は水袋と前石の間一尺八寸より二尺位明け置よし、尤も石の大小によるべし、前石高さ土より三寸位。手水鉢は前石より六寸計高く居てよし、蹲踞手水鉢は三ツ石也、椽先手水鉢は三石に限らず。片口石は前石より一寸五分高く居へてよし、左右の石の見合也。手燭石は前石より三寸程高く居へてよし、但し左右恰好見合也。」、文化13年(1816)『茶道筌蹄』に「石手水鉢 水溜さし渡し七寸、深サ六寸程、尤石の大小にもよる」とある。『南方録』に「宗易へ茶に参れば、必、手水鉢の水を自身手桶にてはこび入らるヽほどに、子細を問候へば、易のいわく、露地にて亭主の初の所作に水を運び、客も初の所作に手水をつかふ。これ露地草庵の大本なり。この露地に問ひ問はるヽ人。たがひに世塵のけがれをすヽぐ為の手水ばちなり。寒中にはその寒をいとはず汲みはこび、暑気には清涼を催し、ともに皆奔走の一つなり。いつ入れたりともしれぬ水こヽろよからず。客の目の前にていかにもいさ清く入れてよし。但、宗及の手水鉢のごとく、腰掛につきてあらば客来前考へて入べし。常のごとく露地の中にあるか玄関ひさしにつきてあるは、腰かけに客入て後、亭主水をはこび入べし。それゆへにこそ、紹鴎己来手水鉢のためは、小手桶一つの水にて、ぞろりとこぼるヽほどの大さに切たるがよきと申なりと答へられし。」とあります。

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