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宣和装

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宣和装
宣和装(せんわそう)は、宣和裱、宋式装とも呼ばれ、宋の徽宗帝(1082〜1135)の宣和年間(1119〜1125)に始まるところからこの名があるといいます。
宣和装は、天の部分に驚燕(風帶)があることと画心(本紙)の四周に細辺(細金)が廻っているのが特徴です。驚燕は、飄帯ともいい、風で紙がひらひらするのを怖れて、燕が近寄らないようにするために付けたものといいますが、年月を経ると脱落しやすいため、明代には天に貼りつけるようになっていました。

宋朝の表具
宋の周密撰『紹興御府書畫式』諸畫裝褫尺寸定式に「大整幅 上引首三寸、下引首二寸。」「小全幅 上引首二寸七分、下引首一寸九分、經帶四分、上褾除打擫竹外、浄一尺六寸五分、下褾除上軸外、浄七寸。」「一幅半 上引首三寸六分、下引首二寸六分、經帶八分。」「雙幅 上引首四寸、下引首二寸七分、上褾除打擫竹外、浄一尺六寸八分、下褾除上軸桿外、浄七寸三分。」「兩幅半 上引首四寸二分、下引首二寸九分、經帶一寸二分。三幅 上引首四寸四分、下引首三寸一分、經帶一寸三分。」「四幅 上引首四寸八分、下引首三寸三分、經帶一寸五分。」「卷 褾合長一尺三寸高者用全幅、引首闊四寸五分高者五寸。」とあります。

唐の張彦遠撰『歴代名画記』に「自晉代已前、裝背不佳。宋時范曄、始能裝背。宋武帝時徐爰、明帝時虞龢、巢尚之、徐希秀、孫奉伯、編次圖書、裝背爲玅、梁武帝命朱異、徐僧權、唐懷充、姚懷珍、沈熾文等、又加裝護。國朝太宗皇帝、使典儀王行真等裝褫、起居郎褚遂良、較書郎王知敬等監領。」(晋代より已前、装背佳ならざりしが、宋の時、范曄、始めて能く装背せり。宋の武帝の時に徐爰、明帝の時に虞龢、巢尚之、徐希秀、孫奉伯、図書を編次し、裝背を妙と為ししが、梁の武帝は朱異、徐僧權、唐懷充、姚懷珍、沈熾文等に命じ、又装護を加えしめたり。国朝の太宗皇帝は、典儀王行真等をして装褫し、起居郎褚遂良、較書郎王知敬等をして監領せしむ。)とあります。
『文晁画談』に「立軸と云は、横巻に対して云ことにて、吾邦の掛物なり、高江村消夏録に、宋燕文貴渓山旅図、立軸高一尺五寸、濶二尺一寸と云り、此邦の横物なれども、立軸と云り、又洞天清禄集に、古画多直、有長八尺者、横被始於米氏父子、非古也と云、又消夏録に、呉仲圭松泉図立軸、装作横巻と云り、直に孫退谷跋中に云、呉仲圭古松泉石小幅長條、傚宣和装法、改而為巻と云り、横巻と横披とは一物にて、立物を横に巻物にしたるなるべし、巻物は昌黎が画記、右丞が輞川など、皆唐以前よりもありと見ゆ、宣和の装法と云は、米氏父子に始ると云清禄集の説を符するに似たり」とあります。
南宋の趙希鵠撰『洞天清禄集』に「古畫多直幅、至有畫身長八尺者。雙幅亦然。披始於米氏父子、非古制也。」(古画多くは直幅にして、画身の長さ八尺なる者あるに至る。双幅も亦た然り。披は米氏父子に始まる。古制に非ざるなり。)とあります。

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