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三島茶碗

雲鶴 三島 刷毛目 堅手 粉引 井戸 熊川 呉器 蕎麦 斗々屋 柿の蔕 絵高麗 御所丸 金海 伊羅保 御本 半使 玉子手

茶碗

三島茶碗(みしまちゃわん) とは、高麗茶碗の一種で、李朝初期15〜16世紀の慶尚南道で焼かれたとされ、雲鶴に次いで古いと考えられています。
鉄分が多い鼠色の素地に、印や箆(へら)や櫛(くし)で紋様をつけ、白土の化粧土を塗った後、削り又は拭き取り仕上げをし、長石釉や木灰釉を掛けて焼成した白象嵌の陶器で、「暦手(こよみで)」とも呼ばれます。
三島の名前は、その文様が、伊豆国三嶋明神(現三嶋大社)で版行された摺暦(すりこよみ;木版印刷)である「三島暦」の仮名の崩し文字に似ていることから「みしま」「こよみ」などと呼ばれたというのが通説となっています。
三島手には、「礼賓(らいひん)三島」、「古三島」、「三作(さんさく)三島」、「彫三島」、「御本三島」などがあります。
「礼賓三島」は、見込みに「礼賓」の字が白象嵌で書いてあることが名前の由来とされます。礼賓は、礼賓寺という外国使臣を接待する役所のことで、ほかに長興寺・内資寺・内膳・司膳・仁寿府などの文字のあるものも礼賓と呼ばれます。この手は官用品として上納されたもので、三島の中でも上品が多く、器の素地自体も薄く、三島文が端整で細やかで、時に高台脇まで象嵌があるものがあります。
「古三島」は、来賓に続いて16世紀前半から中期へかけての物が多く、象嵌の手法が来賓ほど緻密ではないものです。
「三作三島」は、内面は三島象嵌で、外側は胴まで粉引で、高台脇に刷毛目のあるものです。刷毛目のないものは二作三島といいます。
「彫三島」は、慶長年間(1596-1615)初めに始ったとされる古田織部の意匠による日本からの注文品で、見込みだけに花紋の押し型を用い、見込み周辺や外側は箆で略紋を施してあります。
「御本三島」は、17〜18世紀にかけて、日本で作られた手本(茶碗の下絵や切り形)をもとに朝鮮で焼かれたものです。
その他、技法により、「彫三島」のほかに、「釘彫三島」、「刷毛三島」、「絵三島」など、装飾により、「花三島」、「檜垣三島」、「渦三島」、「角三島」など、さまざまな呼び名がつけられています。

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