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釣船

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釣船

釣船(つりふね)は、三日月形や舟形をした、砂張の釣花入です。
釣船は、本来は東南アジアで神への供物を入れる器として用いられていたもののようで、茶人により釣花入として取り上げられたものといいます。
釣船は、鋳金で造られたものを、表面を滑らかにするためか鎚で叩いた紋様が全体に入っています。
釣船は、室町時代には「松本舟」「針屋舟」「淡路屋舟」の「天下三舟」とか「茜屋舟」「艜舟」を加えた「天下五舟」などと持て囃されますが、千利休の頃には「当世主遠きもの也」としてあまり用いられなくなっていったようです。
また、釣船は色々約束事が多かったようで、舳先を上座にむける出舟、艪を上座に向ける入舟とし、朝から昼までは出舟にかけ、以後は出舟にかける。出舟なら花は梢の方を舳先、入舟は花を勝手に向け、晩には泊り舟といい入舟に釣って花を真中に、なるべく寝るように入れるのが習い(茶道望月集)というような舟の釣り方による区別があったようですが、利休時代より後は区別をすること自体を避けるようになっていったようです。
ただ、利休の頃には、後世云われる様な「舟の花入は卯月中旬より八月半迄用」(古今茶道全書)と云うような時季の限定はなかったようです。

『山上宗二記』に「一 釣船 くわてき、惣見院殿御代に火入失申候、昔紹鴎所持、天下無双の花名人也、舟に花の生様口伝多之、又舟に密伝あり。右釣船の数多し、但し当世は如何、主遠き物也。釣舟道陳昔所持、六百貫宿屋町赤根屋へ行、末彼所にあり、宗易舟の内にて数寄道具之由被申候。」とあります。
『茶道筌蹄』に「砂張舟 珠光所持を貨狄舟と云ふ、珠報所持を松本舟と云ふ、此二品茶人砂張舟を用る初め也」とあります。
『古今茶之湯諸抄大成』に「一、中比より釣船の花に出船入船とまり船といふ言葉あり、尤成事也、利休の時節には、さしたる言葉はなくて、船の心をうけて生ると〓〓〓なり、船の心をうけて生るときは、おのづから今の出船、いり船、とまり船にたがはず、しかれども出船、いり船とて、きはまりたる事はなし」「一、釣船は、四月中旬より八月末までの物なり、船のかけやうは、一筋の鎖を客居の方へつる、船の底よりはらへかけて水を打也」とあります。
『古今茶道全書』に「一、朝より昼迄も出舟、昼より晩へは入舟、夜は泊舟と心得、生る船はいつも客方へは一筋のくさりをする、勝手の方へは二筋のくさりをする也」「一、舟の花入は卯月中旬より八月半迄用、此外客花不生不用定也」とあります。
『和漢茶誌』に「一 釣船 南邦製或曰紅毛製合子金也」(一、釣船 南邦の製、或は曰ふ紅毛の製、合子金なり)とあります。

     
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