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二代寒雉
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二代宮崎寒雉(みやざき かんち)は、江戸時代中期の金沢の釜師です。
二代寒雉は、名は尚義、通称は彦九郎、寒雉と号します。
二代寒雉は、『釜師双紙』によると、初代寒雉に男子がないため、近江国栗多群辻村に辻与次郎の末孫があったのを、娘の茂女の婿養子としたといいます。
二代寒雉は、あまり世に知られておらず、作も少ないといいます。
二代寒雉は、享保十三年(1729)歿します。
石川県珠洲市乗光寺梵鐘に「能州珠洲郡飯田町 落合乗光寺 願主先住釈豊皆 鎌倉権五郎景政末孫長屋 当住釈慶祐 延宝七(1679)己未年五月廿八日 冶工 加州金沢住宮崎彦九郎儀一 同息 宮崎彦三郎義治 小工 能州仲居住宮崎九郎兵衛吉家」
石川県七尾市称念寺釣鐘に「元禄九年(1696)十一月廿八日 能登郡羽坂村永教寺 寄進 冶工加州金沢住宮崎彦九郎義治」とあったといいます。
『茶家酔古襍』に「寒雉 彦九郎、名尚義、享保十一年死す」とあります。
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