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遺誡

偈頌 法語   像賛 問答語 印可状 香語 道号 大字 安名 遺誡 祭文 願文 説文 遺偈 尺牘

遺誡(ゆいかい)
遺誡(ゆいかい)とは、僧が亡くなる時に、後人への訓戒として書き残した言葉のことです。
遺誡の墨蹟では、永源寺所蔵の重要文化財「紙本墨書寂室和尚遺誡」があります。
寂室元光(じゃくしつげんこう 1290〜1367)は、美作高田の人で、正安4年(1302)京都東福寺の無為昭元に師事し、のち鎌倉禅興寺の約翁徳倹の門に入り元光と安名され、元応2年(1320)元に渡り、天目山の中峰明本に参じ寂室の道号を与えられ、嘉暦元年(1326)帰国し、以後25年間は各地を行脚し、康安元年(1361)近江国佐々木氏の帰依を得て、永源寺の開山となります。貞治6年(1367)9月1日、遺誡と遺偈を記したあと持っていた筆を放り投げて息絶えたといいます。
その遺誡は、「老拙如今世緑将尽。因顧命諸法属等。待余溘然之後。${林下晦跡。火種刀耕。図終一生也。契経日。当離閴閙独処閑居山間空澤云々。是乃吾仏最後慈訓。寧可不遵奉哉。汝等各各精厳勤修。庶不向袈裟之下失却人身。是余深所望于爾輩耶。汝等見余気絶。急須収窆。切莫留遺骸以使人見之。掩土畳石既畢。勧乎同志只諷首楞厳神咒一遍而巳。然後把熊原還于大守。以茆庵付与高野父老等。各自散去。父老若又有固辞意。汝等与諸道友相議。諸一老成宿納以充庵主。為佗討柴水便当底雲水兄弟。作一夏一冬安禅弁道之所在亦可。餘無復可言。遺嘱遺嘱。」、遺偈 には「屋後青山。檻前流水。鶴林双趺。熊耳隻履。又是空華。結空子。九月初一日 亡僧元光(花押)」とあります。

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