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小田原天命

佐野天命 小田原天命 関東作

小田原天命釜

小田原天命(おだわらてんみょう)とは、相模(神奈川県)の小田原で鋳造された茶湯釜のことです。
小田原天命は、天文三年(1534)に河内狭山(大阪府大阪狭山市)より来住したと伝えられる小田原新宿に住した鋳物師山田二郎左衛門とその一門によって鋳られたといわれています。
永禄十二年(1569)北条氏より虎朱印状が「新宿鋳物師二郎左衛門」に下され「鋳物師商売」を分国中で自由に行う認可を与えられ、天正十四年(1586)虎朱印状が「小田原新宿山田二郎左衛門尉」に下され「鋳物師の棟梁」を命ぜられ、鉄砲御用を務め、他に鍋・湯釜・風炉などの鋳造も行っています。
小田原天命は、天正十六年(1588)山上宗二が小田原に下ってきており、これを契機として、北条一門衆や年寄衆らの間で茶の湯がことのほか流行したといい、これにより茶湯釜が鋳造されたのではないかといいます。
小田原天命は、遺品については詳らかではなく、貝の鐶付の多い、芦屋風地紋がある釜がそうではなかろうかと推定されています。

『釜師由緒』に「天明は阪東治工上手作也。是祖也。又佐野天明、小田原天猫は二代目より有之。天猫文字或は天命と云、小堀遠州公御改名と云う、古書に天明と書く方よしと依而我家の證文に右之文字書く也」とあります。
『名物釜所持の名寄』に「三代目小田原 一小姫 同(鐶付)ツマミ 山下祐也」「三代目小田原 一口厚丸釜 十王口鐶付ツマミ 田中良空 鴻池道億」「二代目小田原 一鞠釜 同(鐶付鬼面) 井筒屋太郎兵衛 薩摩屋素朴」「三代目小田原 一雁釜 地紋いせき雁 升屋道悦」とあります。
『茶道筌蹄』に「天猫 小田原 河内 天猫は茶かま師にあらす」とあります。

     
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