茶道 > 茶道の道具 > 釜 > 釜師 > 辻家 > 藤左衛門
藤左衛門
辻与次郎 弥四郎 藤左衛門 二代与二郎
|
藤左衛門(とうざえもん)は、安土桃山時代に辻与次郎と共に活躍した釜師です。
藤左衛門は、与次郎の弟子とも、弥四郎と共に三人兄弟ともいわれます。
藤左衛門は、はじめて利休の釜形で丸釜を鋳造したといいます。
藤左衛門は、甲賀町大鳥神社(河合牛頭天王社)に慶長七年(1602)奉納された鉄湯釜に田中藤左衛門とあるのがそうではないかといいます。
甲賀町大鳥神社鉄湯釜の銘文に「江州甲賀上郡大原本庄 河合牛頭天王 御湯釜也 慶長七年壬刀(寅)八月吉日 願主 祐人吾 大工辻村田中藤左衛門 敬白」とあります。
『釜師由来』に「一京作 京師天下一 辻与二郎 法名一旦と云、太閤秀吉公御釜師、利休時代、藤左衛門、彌四郎と此三人利休の釜初て鋳る。阿弥陀堂、雲龍、四方釜 与二郎作。尻張釜 彌四郎作。丸釜 藤左衛門作。其後は右三人種々形の釜を鋳る。一旦与二郎三人の内随一の上手也。利休時代の釜出来能を与二郎と極め、藤左衛門、彌四郎両作共に今代は与二郎と極め、其外の釜は利休時代と極る」とあります。
『釜師由緒』に「京作は利休時代、京師天下一辻与次郎と号、藤左衛門、弥四郎、利休釜形付始て鋳、道仁が弟、阿弥陀堂、雲龍、四方釜は与次郎作、尻張釜は弥四郎、丸釜は藤左衛門、其後三人して種々形釜を鋳る、一旦与次郎は太閤秀吉公の釜師三人之随一也 上手也、利休時代釜出来能を与次郎と極む、藤左衛門、弥四郎作共に与次郎と極む、其外之作は利休時代と極む」とあります。
『名物釜所持名寄』に「藤左衛門作 一小雲龍 阪本周斎。一大雲龍 鐶付鬼面 南友坊。一小尻張 海部屋市右衛門。一切掛 少庵寄付ト文字有 冬木小平次。一切掛丸釜 尾州愛知郡 末吉八郎右衛門 熱田智法印文字在。一萬代屋釜 千宗左。一同 千宗安。一丸釜 芳野權兵衛。一中阿弥陀堂 千宗室 高宮庄右衛門。一尻張釜 浦井彦右衛門。一同 阪本周斎。一四方釜 萬代屋形 同。一同 萬代屋形ト云 高宮庄右衛門 但シ尾タレ。一萬代屋釜 三木權太夫」とあります。
『茶家酔古襍』に「実久 与四郎、一旦と号す、善正の二男、名人、慶長八年死す、天正十四年京都大仏殿丈六の仏像を鋳る又豊国神前の燈籠を寄進す、宗易好の丸釜、阿弥陀堂、尻張、雲龍、万代屋、針屋、釜及ひ国師釜、百会霰、龍宝山、少庵好巴釜」とあります。
『茶道筌蹄』に「與二郎 利休のカマ師、辻與二郎實久と云ふ、弟子に彌四郎、藤左ヱ門と云へるあり、上作ゆへカマ師にて此両人の作を與二郎と極む、法名一旦」とあります。
『釜師系譜』に「藤左衛門 與次郎の弟子、丸釜を多く作る」とあります。
『西京釜師系図』に「辻与次郎、兄弟三人江州辻村産、弥四郎、藤左衛門」とあるといいます。
茶道をお気に入りに追加 |