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呉洲水指
菱馬 十二角
呉州(ごす)は、明末から清初に中国南部の民窯で輸出用として大量に焼かれた素雑な染付のことをいいます。
呉州は、呉須とも書き、呉州手(ごすで)ともいいます。
呉州は、官窯に比べて、素地は厚く灰白色、透明感のない釉で、畳付(底部)付近に窯に焼き付くのを防ぐ砂が付着した砂高台(すなこうだい)となっています。
呉州は、染付の発色が黒みがかって、素朴さや、素早い筆さばきの絵付け、一気に捻り上げられた器形が茶人に好まれました。
呉州は、厳密な産地は特定されずにいましたが1994年に福建省平和県で窯址が確認されました。
呉州水指は、呉洲菱馬、呉洲十二角などがあります。
『万宝全書』に「呉洲手(ごすで) 染付 下手也、南京にして外国物なる故下作とす、染付の鉢皿品多し、右茶碗の所に委く記す」「呉洲手(ごすて) 茶碗 手鑑に有之、染付手のあしきと云事にて名付たり、手の能(よき)を寸こうと云、其うらなればごす手と云也、代金二三枚なり、又染付の部にくはしく其類をしるす、凡そ茶碗焼物の名品数多なる故一編に顕しかたし」とあります。
『新安手簡』に「茶入茶碗の下品なるをごすでと申候由来を尋ね候へは、子昂を打返して手のわるきと申す詞を申と、是等も京都の世の俗語と聞へ候、是等の類わけもなき滑稽又唐音の転訛なと其代に出し事共も候か」とあります。
『塩尻』に「磁器にごすと称する物あり、是我朝の俗語なり、昔趙子昂手書事よし、吾俗能書を手かきと云、此磁器麁薄なり、故に俗に手あしき焼ものをいふより、子昂をかへして昂子手といふ也」とあります。
『嬉遊笑覧』に「呉洲手 万宝全書染付のあしきを名付たり、手のよきを子昂といふ、其うらなれば、ごすでといふとぞ、新安手簡にも、ごすでは子昂を打返して、手のあしきを申ことヽ申候、是も京都将軍の世の俗語と聞え候とあり、さることもあるべけれど、画焼青をゴスといふ、磁器の青絵なり、よく製法して絵をかき、釉水かくれば青色となれども、元と色黒きもの故、釉水かヽらぬ処は其色黒し、故に藍色の黒みある陶器なれば、ゴス手といひしを、謎の名のやうに取なしたるもの歟。」とあります。
『茶道筌蹄』に「染付 古染付 虫喰手 祥瑞 呉洲 菱馬は御本にて等顔の下画也と云ふ」とあります。
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