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床窓
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床窓(とこまど)は、窓の位置による名称のひとつで、床の間の内に設けられた窓のことです。
床窓は、古くは「床の窓」「床の内の窓」などと呼ばれ、床の内の脇壁に開けた下地窓をさし、古田織部(1543/44〜1615)が好んだところから「織部窓」(おりべまど)ともいわれます。
床窓は、千利休(1522〜1591)の作と伝えられるものに床の内に窓を開けたものがありますが、利休は床の内の窓を好まなかったとも伝えられています。
床窓には、下地窓に細い竹を入れて掻き、花入を掛ける折釘を打ったものもあるところから、後に、床の内の脇壁に開けた明かり取りの下地窓を「墨蹟窓」(ぼくせきまど)、下地窓の組子に折釘を打ち花入を掛ける趣向のものを「花明窓」(はなあかりまど)などと呼ぶようになります。
床窓は、勝手付に窓を開けたのは金森宗和(1584〜1656)の好みといいます。
床窓は、古田織部が大坂陣に際し京屋敷の茶室を義弟の藪内家初代剣仲に譲ったとものと伝えられる薮内家の三畳台目本勝手中柱台目切下座床「燕庵」(えんなん)があり、下地の竹に釘が打たれ、花入を掛けるようになっています。
床の間の内に設けられた窓には、他に床の正面の大平壁(おおひらかべ)に円い窓をあけた「円窓床」(えんそうどこ)があります。
『松屋会記』慶長六年(1601)十一月廿日昼生高(勢高)開古織部会に「床の内、大平の方の脇に窓ありて、此窓に備前筒掛て、うめ、水仙花入、(中略)、床窓の花は其まヽあり、床の内に二色有之」とあります。
『古田織部正殿聞書』に「床の中の窓、此は床江明入候程との為明る、又花を可生為也、下地の真中に竪に細き竹を入てかくべし、是に打釘を打ち、花入を掛置候也」「床の内下地窓の折釘寸法は右壁の折釘と同座も無之、折釘は窓の左右真中竪竹下より下地狭間三間目に打也」とあります。
『利休相伝之書』四畳半数寄屋寸法に「床の内の窓、横一尺四寸、床の内の地敷居の上はより窓の下はまで三尺一寸」とあります。
『利休居士伝書』に「床に下地窓悪し。小座敷こうし窓をもきものなり」とあります。
『茶道旧聞録』に「利休座敷に床の内に窓無之」とあります。
『南方録』に「床の内の窓は古織好也、夫故織部窓といふ」とあります。
『茶譜』に「金森宗和は勝手の方へ窓をあけしことは古より嫌ふを不知してあけしか、縦不知気の付へき窓なり。宗和一世の誤と其比沙汰有之」とあります。
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『茶式湖月抄』に「床窓の事 一、床の窓高さ地鴨居より三尺二寸八分、窓高さ内法一尺二寸七分、同横内法一尺四寸、床前の柱ぎわより一寸四分のぬり出しあり、障子組子竪中に一本、同横中に三本」「一、床の窓高さ地鴨居より三尺一寸、窓高さ内法一尺九寸、同横内法一尺四寸三分」「一、床の窓高さ地鴨居より二尺六寸、窓高さ内法二尺一寸二分、同横内法一尺一寸二分」「一、床の窓高さ地鴨居より二尺九寸八分、窓高さ内法七尺五寸、同横内法一尺二寸」「一、床の窓高さ地鴨居より三尺一寸、ぬりどめの上は也、窓の内法一尺六寸、床柱の前より一寸四分、ぬり出し夫より一尺四寸上のえつり竹四寸六分つもるなり」とあります。
『数寄屋工法集』貞享三年(1686)刊に「床之内西の下地窓 一、床かまちの上端より、下の塗留迄、三尺一寸」「一、高さ、内程一尺三寸、下の塗溜より、ゑつり中すみ迄三寸、それより七寸五分、又、それより一寸五分」「一、床柱内つらより、小壁一寸七分」「一、横内程、一尺三寸二分、前の小壁塗溜より、ゑつり中すみまて、一尺二分、それより一尺三分、それより一寸七分、横二本、縦二本」「懸障子、竪一本、横三本なり」とあります。
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