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茶室の窓

下地窓 連子窓 突上窓 無双窓 虫籠窓 破窓 忘窓 獅子垣窓 風炉先窓 床窓 織部窓 墨蹟窓 花明窓 色紙窓 円窓 角切窓 花頭窓 短冊窓 櫛形窓 猪目窓 透窓 大下地窓 割窓 有楽窓 光琳窓 片引窓 両引窓 引違窓 開窓 掛窓

茶室

茶室の窓は、室内の採光と通風のみならず、壁面の意匠ともなっています。
武野紹鴎の茶室は、北向きで、窓がなく、開口部は縁に面した出入口の明障子のみでした。
千利休は、北向きだった茶室を、南向きに作り、室内に窓を開けます。
利休の遺構とされる待庵(たいあん)は、妙喜庵(みょうきあん)の書院の軒から突き出した庇の下に作られ、連子窓と下地窓が付けられています。
北向きの落ち着いた一定の光に対して、南向きにし、窓を開けることで、変化する光を取り入れたと考えられています。
利休以後の、織田有楽、古田織部、小堀遠州らは、窓を多く開けます。
座敷の景としての効果を意図したものと考えられています。
茶室の窓は、構造形式、配置された場所、形状、開閉の扱いなどにより、さまざまな名称がつけられています。
茶室の窓は、構造形式により、「下地窓」(したじまど)、「連子窓」(れんじまど)、「突上窓」(つきあげまど)、「無双窓」(むそうまど)、「虫子窓」(むしこまど)、「破窓」(やぶれまど)、「忘窓」(わすれまど)などの名があります。
茶室の窓は、取り付ける位置により、「風炉先窓」(ふろさきまど)、「床窓」(とこまど)、「織部窓」(おりべまど)、「掛物窓」(かけものまど)、「墨蹟窓」(ぼくせきまど)、「花明窓」(はなあかりまど)などの名があります。
茶室の窓は、形状により、「色紙窓」(しきしまど)、「円窓」(まるまど)、「角切窓」(つのきりまど)、「花頭窓」(かとうまど)、「短冊窓」(たんざくまど)、「櫛形窓」(くしがたまど)、「猪目窓」(いのめまど)、「透窓」(すかしまど)、「大下地窓」(おおしたじまど)、「割窓」(わりまど)、「有楽窓」(うらくまど)、「光琳窓」(こうりんまど)などの名があります。
茶室の窓は、開閉の扱いなどにより、「片引窓」(かたびきまど)、「両引窓」(りょうびきまど)、「引違窓」(ひきちがいまど)、「開窓」(ひらきまど)、「掛窓」(かけまど)、「突上窓」(つきあげまど)などの名があります。

『池永宗作伝書』に「茶湯の座敷は北向を本とす。なぜにならば強く明るふ無き程に茶具真にみゆる常明り也。東南西の明りは変わりあり。あかるき時は茶湯道具麁相にみゆるなり」とあります。
『松屋会記』永禄二年(1559)に「一 千宗易 紹佐 久政 二人 左カマヘ四畳半 南向」とあります。
『茶道筌蹄』に「四畳半畳名所 紹鴎好四畳半は二枚障子にて左右にマイラあり、張壁なりしを利休塗壁にてぬり残し窓をあけ、くヽり口を付る、道幸の戸は此壁を通り勝手口の太鼓張は外を廻す」「窓 紹鴎このみの四畳半の張壁を塗壁にてぬり残しのまどを明る事、居士より始るなり、定家卿の歌に 大かべの窓ぬり残す庵までも すさめす照す夜の月」とあります。

     
外観   間取   天井   出入口
     
    台目構   水屋

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