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逆勝手
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逆勝手(ぎゃくがって)とは、点前座に座る亭主の左側に客が着座する席構えをいいます。
逆勝手は、非勝手(ひがって)ともいい、左勝手(ひだりかって)とか、左構( ひだりがまえ)などともいいます。
逆勝手は、古くは「右勝手」(みぎかって)と呼ばれていましたが、これは亭主の座る点前座の右側に勝手(水屋)がある右構(みぎかまえ)の意で、それが江戸時代中期頃までには点前を行なうときの勝手という意から左手前(ひだりてまえ)が右勝手と呼ばれるなど名称が混乱し、やがて左勝手と呼ばれることが一般的になっていったようです。
逆勝手の炉は、表千家と武者小路千家では、向切に限られます。
『山上宗二記』(1588)に「右此座敷紹鴎の移し也、但し北向坪ノ内又は見越に松大小数多し、天井のね板、柱、絵、真のはりつけ黒ふち有り、かつてふすま障子、黄引手、書隠二間ともに四帖半也、其後宗久、宗易、宗瓦、宗及、拙子式迄仕候、此外の唐物持、京堺悉く是を移す、又珠光かヽりは、北向右かつて、坪の内に大なる柳一本在、後に松原広し、松風計聞く、引拙は南向右勝手、道陳は東向右勝手、宗達右勝手、何も道具に有子細歟、又台子をすくか、将又紹鴎之流は悉く左勝手北向也、但し宗易計は南向左勝手をすく、当時右かつてはを不用と也、珠光は四帖半、引拙は六帖敷也」とあります。
『逢源斎書』(1663)に「左勝手、右勝手の事 常のいろりは本勝手に而候、これは左勝手也、右かつてはそのうらに而候、世上とかわり申候」とあります。
『不白筆記』(1794)に「昔は左勝手の右手前、右勝手の左手前と云、中比より左手前右手前と云、今是を用申候」とあります。
『烏鼠集』(1572)に「左勝手の徳三あり、釜一つ置時好、中に不可置、水指の上に見えて吉、壷とりて茶調よし、其外わひすきによし、見くたしよし」とあります。
『松屋会記』の永禄二年卯月十八日堺天王寺屋道叱「北向四畳半、左かまへ」、同十九日朝堺納屋宗久「北向四畳半、右かまへ」、同廿日堺住吉屋宗左衛門「四畳半、西向、左かまへ」、同廿日晩堺樋口屋「北向四畳半、右かまへ」、同廿一日堺薩摩屋宗忻「四畳半、北向、右かまへ」、同日昼堺木下宗五郎「右かまへ、四畳半」、同廿二日堺北向道珍「四畳半、右かまへ、東向」、同廿三日朝千宗易「左かまへ四畳半、南向」、永禄八年正月廿九日多門山霜台御茶湯(松永久秀)「北向四畳半、左かつて」、永禄十年十二月十四日朝堺中小路松江隆専「右かまへ、北向、いろり」、永禄十一年二月二日朝草部や道説「北向、左かまへ」とあります。
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