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南蛮水指

縄簾 冬寒 芋頭 朝鮮 〆切 海老手 不識 切溜 内渋 半練 甕蓋 擂盆

南蛮水指

南蛮水指(なんばんみずさし)は、一般的には、安南(ベトナム)、暹羅(シャム:タイ)、呂宋(ルソン:フィリピン)をはじめ、南支那、南洋、琉球方面から南蛮貿易によって室町時代後期を中心に日本にもたらされた、無釉の焼締物の甕や鉢などが水指として見立てられ用いられたものをいいます。
南蛮水指は、天文十一年(1542)武野紹鴎が占切水指を用いたのが土物の南蛮物の初出といいます。
南蛮水指は、古くは金物の水指を指しましたが、室町末期から桃山期にかけて侘び茶の流行と共に土物が好まれ、土味、特にその濡れ味が賞玩され、土物水指の第一に取り上げられ、主に土物を指すようになりました。
南蛮水指は、縄簾冬寒〆切南蛮芋頭朝鮮海老手不識切溜内渋半練甕蓋擂盆、椀形、切桶などの種類があります。
南蛮物は、近年の調査研究により、「〆切」は中部ベトナム地域、「縄簾」は北部ベトナム地域、「半練」はタイ・アユタヤ地域で生産され、炊飯など日常生活に使用されていたことが分かったといいます。

『烏鼠集』に「一、棚の下は、必四つくみ也、真の釜をふろに、銅の南蛮水指、古銅の柄杓立、くるみ口、柑子口、つは口の間、合子ハからかねのかな色よし」「一、水指は、南蛮の銅、熟柿の色を上とす、うつくしく赤きを本とす、銅は一南蛮、二日本、三大明」とあります。
『松屋会記』天文十一年(1542)四月三日堺紹鴎会に「占切(しめきり)水指 ホウノサキ」とあります。
『万宝全書』に「南蛮 奥国なり、南蛮とは惣名にして其国数しらず、是より渡る道具品多し、其中に名酒珍菓の類持来せり」「南蛮銅水指之図。南蛮、懐桶(タキヲケ)、東山殿図に有。南蛮、半桶、同上。南蛮、餌籠(エフコ)。南蛮、桐桶(キリヲケ)、かたに打出したるやうに星有。南蛮、返花、すじ乃うちのうらも打出したるやうにみゆる、東山殿図にもあり」とあります。
『茶道筌蹄』に「南蛮物、縄簾、但し横縄、竪縄」「冬寒 海老手に似たる物にて、元伯書付に冬カンとあり、此手を云ふ、郡山候御所蔵なり」「〆切 南蛮物横筋」「南蛮芋頭 碗の手と云、口の広きを、三谷宗鎮年始の茶に、誤てわりけるを、原叟太箸と銘し祝ひ遣す」「朝鮮芋頭 同細 同平 啐啄斎好、割蓋、黒塗、銀蝶つがひ、裏に金の立浪」「海老手 耳に海老あり、なきもあり」「不識 利休所持、化物は友蓋なり、少庵、宗旦、宗全、宗也まで伝来、此後尾州大野濱嶋傳左衛門へ伝ふ、此外に元伯銘の不識といふあり、是は不識の始なり、山中氏所持、原叟好の盆の蓋あり、ぶせうもの、不動の二銘あり、不動は郡山候御所持、ぶせうものは浪華今宮村宗了所持なり」とあります。

     
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