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一間床
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一間床(いっけんどこ)とは、床の間の間口による名称のひとつで、間口が一間の大きさの床の間のことです。
一間床は、一般に柱間が丸畳一畳の長辺方向の大きさほどの床ということですが、京間畳六尺三寸、中京間六尺、田舎間五尺八寸、また長さの単位としては一間は六尺と、一間床といっても茶室によって大きさが異なってきます。
一間床は、村田珠光の四畳半、武野紹鴎の四畳半、千利休の堺屋敷四畳半など、利休の晩年までの茶室では一間床が定法となっています。
『南方録』に「四畳半座敷は珠光の作事也。真座敷とて鳥子紙の白張付、杉板のふちなし天井、小板ふき、宝形造、一間床なり。」とあります。
『茶窓陂b』に「紹鴎が四畳半は一間床なり、道安四尺三寸にちゞめし床を休師見て、是は一段よしとて、其後四畳半を建し時に、四尺三寸の床になせしより、今も多くはこれにしたがえりとなん」とあります。
『細川三斎御伝授書』に「利休か堺にては松の角柱に色つけず、上り口一間半四枚の障子、勝手二枚障子、道幸の上葭へい也、床一間は鳥の子の白張、黒縁を打候」とあります。
『山上宗二記』紹鴎四畳半図に「床の深さ二尺三寸」、「三畳敷は紹鴎の代迄は無道具の侘数寄に専とす、唐物一種成共持候者は四帖半に座敷を立る、宗易異見候、廿五年以来紹鴎之時に同し、当関白様の御代十ケ年の内上下悉三帖敷、二帖半敷、二帖敷用之」とあります。
『神谷宗湛筆記』天正十四年(1586)十二月に「十五日 一、天王寺や道叱老御会事、宗湛、宗傳、四畳半、床六尺、折釘上の玉縁も有、四寸炉」「廿六日朝 一、茜屋宗佐御会、宗湛一人、四畳半、床六尺也」、天正十五年(1587)正月「十四日朝 一、銭屋宗衲御会、宗湛、四畳半、床六尺、四寸炉、木縁」「(十六日朝)一、針屋宗春御会、宗湛、四畳半、六尺床、四寸炉」「二月廿日朝 一、天満樵斎御会、大坂にて、宗湛、四畳敷、四寸炉、小さき丸釜、五徳すへ、六尺床」「(亥三月二日朝)一、油屋宗悦御会、堺にて、宗云、宗湛、四畳半、六尺床」「(三月五日朝)一、なや了鳥御会、宗湛、平三畳、六尺床、真かまち」「(三月十四日朝)一、宗甫御会、道設、鳴尾屋宗叱、宗湛、四畳半、六尺床」「(三月廿日朝)一、なや宗久御会、大阪にて、宗湛、平三畳、六尺床」「(三月廿七日朝)一、塗や源三郎御会、奈良にて、宗湛、四畳半、六尺床に白鷺の絵始終掛て」「(三月廿七日朝)一、四聖坊の内宗有御会、宗湛、平三畳、床六尺」とあります。
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