茶道 > 茶道とは > 茶室 > 間取 > 床 > 四尺三寸床
四尺三寸床
四尺三寸床(よんしゃくさんずんどこ)とは、床の間の間口による名称のひとつで、間口が四尺三寸の大きさの床の間のことです。
四尺三寸床は、天正十三、四年ごろ大徳寺門前から二条衣棚に移った少庵が、二畳半の小座敷に四尺床を構えたのを見て、利休は大徳寺門前の屋敷に帰り、すぐに大工を呼んで床を切り縮めて四尺三寸にした、あるいは道安が四尺三寸に縮めた床を見て、新たに四畳半を建てたときに四尺三寸床にしたといいます。
四尺三寸床は、利休が最晩年の天正十五年(1587)の末頃に作った聚楽屋敷の四畳半座敷の写しといわれる、宗旦が作った「又隠」(ゆういん)などがあります。
『江岑夏書』に「少庵、二条大やしき在之候、大甲水の時、京に釜座のつきぬけ、衣の棚へつきつけ被成候時、かまの座のつきぬけ、少庵屋敷の中をつきぬき申候、其替やしきに、唯今のやしき替地に取申候、徳善院の時、其二条に而やしきに二畳半の小座敷被致、床は四尺にいたし、ふるいゝ宗易を座敷之開に呼被申候、易きけんよく御座候、扨、門前へ易御帰候て、そのまゝ大工呼て、床を四尺三寸しめ被申候事」とあります。
『茶窓陂b』に「紹鴎が四畳半は一間床なり、道安四尺三寸にちゞめし床を休師見て、是は一段よしとて、其後四畳半を建し時に、四尺三寸の床になせしより、今も多くはこれにしたがえりとなん」とあります。
『神谷宗湛筆記』天正十五年(1587)に「御城大坂にて、亥二月廿五日朝、(中略)、山里の御会の事、御座敷二畳、床四尺五寸、かべ暦張、左の角に炉有、其脇に道籠有」「三月十六日 一、千紹安御会、本住坊、宗湛、二畳半、四尺五寸床」とあります。
『天王寺屋会記』天正十二年(1584)に「同正月三日朝 山里ノ御座敷開 秀吉様之御会始也、宗易、宗及」とあります。
『山上宗二記』に「二畳敷の座敷、関白様に有、是は貴人か名人か、扨は一物も持す侘数寄か、此外平人には無用也」とあります。
茶道をお気に入りに追加
|