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西村九兵衛
西村九兵衛 西村弥一郎 西村道弥 西村道也 西村道爺
西村九兵衛(にしむらくへえ)は、江戸初期の人で、名は家久、千宗旦(1578〜1658)の釜師といいます。
西村九兵衛は、西村道仁の子とも孫とも弟子であるとも、西村道弥の親類ともいわれますが、詳らかでありません。
西村九兵衛は、幼時に父に別れたため、名越浄味の弟子になったと伝えられています。
西村九兵衛は、宗旦好の蒲団釜のほか、四方釜、裏鏊釜、累座釜、唐犬釜、土斎釜などの作があります。
西村九兵衛の釜は、作行は端正で、柔らかい線が美しく、肌は砂肌が多く、中荒肌に近いが、仕上げが上手なため地肌の荒れが見えず、焼抜をしない生釜にもかかわらず焼抜以上の仕上がりといいます。
西村九兵衛は、寛文七年(1667)銘のある梵鐘が京都立本寺にのこされています。
西村九兵衛は、子がなく一代限りともいいますが、詳らかでありません。
西村九兵衛は、共箱のものは稀で、宝暦年間(1751〜1763)に西村九右衛門という釜師が出て、その子が九兵衛を称し、安永(1772〜1781)ころ京都油小路に住して茶湯釜を作り共箱の釜があるといいます。この九兵衛は、のち三代にわたり久兵衛を称したといいます。
京都上京区七本松仁和寺街道上る「立本寺」梵鐘に「寛文七年孟冬穀旦洛陽三條釜座西村九兵衛家久、同治兵衛頼久」とあります。
京田辺市飯岡「西方寺」梵鐘に「寛永十六年(1624)已卯二月鋳師洛陽三條釜座西村治兵衛家次作」とあります
『茶家酔古襍』に「九兵エ 西村氏、名家久、名人、道仁の子、幼少の時父道仁死去、これに依て浄味の弟子となる、宗旦時代上手、品方釜、裏鏊、蒲団、累座、唐犬、土斎。」とあります。
『釜師由緒』に「一、京作 西村九兵衛 宗旦釜師」とあります。
『大西家釜形図』に「九兵衛作 蒲団釜 蓋なし。千宗左様に有之、啐啄斎箱書付、覚々好あみた釜のふたを用るとあり、蓋唐金薄ヤキ」とあります。
『茶道筌蹄』に「九兵衛 西村九兵衛といふ、道彌親類、元伯時代一代也」とあります。
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