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西村道仁
西村道仁 西村家 辻与次郎 辻家 名越家 下間家 大西家 江戸大西家 宮崎家 堀家
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西村道仁(にしむら どうにん)は、天文弘治(15325〜1558)頃から文禄慶長(1592〜1615)頃の釜師で、西村家の始祖とされます。
西村道仁は、生没年不詳、名は国次、京都三条釜座(かまんざ)に住し、天下一を号しました。
西村道仁は、名越浄祐の門人で、千利休の釜師である辻与次郎の師、織田信長(1534〜1587)の御用釜師として天下一の称号を与えられたと伝えられます。武野紹鴎(1502〜1555)の釜師とも伝えられますが、確かなことはわかりません。
西村道仁は、その系譜に西村九兵衛、弥一郎がおり、弥一郎は西村家初代となり代々続きます。
西村道仁は、共箱の遺品がなく、伝道仁作とされる釜は、猿の鐶付が多く、造形的に変化が多く、釜肌がやわらかなものが多いといいます。
西村道仁は、在銘の作では、文禄二年(1593)銘の山形県羽黒山祓川擬宝珠、同年京都本国寺梵鐘、慶長十年(1605)銘の京都六角堂梵鐘、同十一年(1606)銘京都妙蓮寺灯籠、同年山形専称寺梵鐘、同年埼玉福寿院梵鐘が知られています。
西村道仁は、井口海仙『茶道辞典』『原色茶道大辞典』などは生没年を永正元年(1504)〜弘治元年(1555)としています。
羽黒山祓川擬宝珠に「天下一道仁作 文祿二年癸巳五月吉日」、同年京都本国寺梵鐘に「藤原国次戒名道仁」、慶長十年京都六角堂梵鐘に「鋳師花洛三条住天下一沙弥道仁」、山形市専称寺梵鐘に「慶長十一年丙午六月吉日 三条住人天下一道仁准之」とあります。
『釜師由緒』に「一、京作 京師天下一 西村道仁 信長公御釜師、紹鴎時代。」(別本、『釜師由来』「一京作 京師天下一 西村道仁 信長公御釜師、紹鴎時代、我家之祖也」、『釜師之由緒』「一、京作 紹鴎時代天下一 西村道仁 名越善正也、道仁は信長公御釜師、我家之祖也」)とあります。
『名物釜所持名寄』に「一猿釜 鐶付猿 石原宗閑 田中全斎 岸部五郎兵衛。蘆屋釜書付古き箱に入れ有、紹鴎時代、道仁、善正両作の内の物也。」「道仁作 一有明釜 挑燈筋鐶付猿 有隣軒殿。一靨釜 姥口鐶付鬼面 中村七郎兵衛。」とあります。
『茶道筌蹄』に「道仁 天下一西村道仁は紹鴎のカマ師也、與二郎の師と云ふ、紹鴎好桜川と云るカマあり道仁作」とあります。
『茶家酔古襍』に「道仁 名人也、浄祐の門人又善正の門人とも云、未詳、九兵ヱの父也」とあります。
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