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尺牘

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尺牘(せきとく) 東京国立博物館所蔵 国宝「大慧宗杲墨蹟 尺牘 十月初二日」
尺牘(せきとく)とは、漢文体の手紙のことです。
尺は一尺、牘は文字を書いた方形の木札のことを指し、一尺ほどの木簡または竹簡に手紙を書いたことから手紙の意で使われるようになり、漢代には書簡一般を指すものとなっていました。
尺牘の墨蹟では、東京国立博物館所蔵「大慧宗杲墨蹟 尺牘 十月初二日」、東京国立博物館所蔵「無準師範墨蹟 尺牘」、畠山記念館所蔵「大慧宗杲墨蹟 尺牘 四月八日」が国宝に指定されています。
「大慧宗杲墨蹟 尺牘 十月初二日」は、大慧が秦檜による政争にまきこまれて梅州に流されていたとき会下の無相居士へ送った尺牘です。
無相居士の伝記は詳らかでありませんが、俗名をケ子立といい、大慧とはごく親しい間柄であったようです。大慧墨跡中最も珍重される名跡の一つで、江月宗玩の所蔵を経て松平不昧が愛蔵し同家に伝来したものです。
この墨蹟は、「無相居士子立道義丈室、即日初冬乍寒、伏惟道體万福、宗杲跧伏瘴郷、幸未即死、皆コ庇之及也。前此嘗作數字、附循州遽將去、想無不達信後益深瞻念、蓮禪者得々歸臨平省親、渠受業在吴下山智果、此便甚的、不可無書、故率尓作此承動靜而已、此中家風蓮能言之、未問、伏乞如時珎重、不宣、宗杲悚息上状 十月初二日 比有梅州兵士還、千万寄聲要知迩來安否之詳也、至禱々々」とあります。
「無準師範墨蹟 尺牘」は、円爾(えんに 1202〜1280)が師の無準師範(ぶじゅんしばん 1178-1249)のもとを辞して帰国した翌年の淳祐2年(1242)無準の住する径山万寿寺が炎上の厄にあいます。博多に承天寺を創建しその住持となっていた円爾は径山炎上の報をうけると、当時日宋貿易に従事していた豪商謝国明の協力を得て,復興資材として板千枚を寄進します。この尺牘は、それに対する無準師範からの礼状で、その因縁から「板渡墨蹟」と呼ばれています。円爾の承天寺の創建を喜び、受け取った板の数を知らせて感謝し、日本禅宗の興隆に力を注いでほしいと書かれています。松平不昧が所持していました。

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