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堀家
浄栄 浄甫 浄a 越後堀家 堀別家
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堀家(ほりけ)は、江戸時代に幕府の御用釜師を勤めた釜師の家です。
堀家は、京名越家初代三昌の次男の浄栄が、元和元年(1615)幕府の召に応じて江戸に下り、御釜并銅物御細工御用を命ぜられ、元和三年(1618)山下御門外川岸通りに御細工地面を拝領し、堀山城守を名乗ったところに始まります。
堀家は、二代浄甫に子がないため、明暦二年(1656)京都の鋳物師和田信濃(大掾国次)の次男吉五郎を養子とし、天和二年(1682)三代山城を継がせます。
堀家は、三代山城まで幕府の御釜師となっていますが、越後堀浄親の『釜師の系譜』に元禄十五年死去とあり、元禄十七年宝永元年(1704)『武鑑』に名がないところから、この頃に御釜師でなくなっているようです。
堀家は、四代山城が正徳二年(1712)病気のため隠居し、早世します。
堀家は、二代浄甫の甥藤兵衛が五代目を名乗りますが、正徳三年(1712)山城河岸の細工屋敷を召上げられ替地見立願もせず、正徳六年(1716)歿します。
堀家は、六代善太郎が姓を山城と改めます。
堀家は、八代藤兵衛が天明六年(1786)五代以前の由緒をもって幕府に願い出て、翌年正月御細工頭支配の御用釜師となります。
堀家は、九代藤兵衛没後に門人で尾張笠寺の人立松倉助が山城を名乗ります。
堀家歴代
初代 山城 弥助、清光、浄栄(浄甫)
二代 山城 弥助、清光、浄甫(浄栄)、天和二年(1682)歿
三代 山城 弥助、吉五郎、浄a、和田国次の次男、元禄十五年(1702)歿
四代 山城 弥助、正徳二年(1712)隠居
五代 山城 藤兵衛(弥兵衛)、清次、正徳六年(1716)歿
六代 山城 善太郎、五代の子
七代 山城 藤兵衛
八代 山城 藤兵衛
九代 山城 藤兵衛、嘉永二年(1849)歿
十代 立松山城 倉助、光定、浄和、九代門人、大正四年(1915)歿八十三歳
十一代 立松山城 光之、浄晃、十代の子、昭和十四年(1939)歿六十二歳
十二代 立松山城 啓臣
『茶家酔古襍』に「山城 堀氏、弥助、浄甫と号す、弥五良、家昌に従ひ江戸に下る、被召出代々御用相勤む」「山城 弥助、浄栄と号す」「弥助 浄aと号す」「山城 弥助」「弥兵ヱ」とあります。 『堀家先祖由緒書』に、初代を浄栄、二代を浄甫とあるといいます。
『武鑑』の天和元年(1681)、天和三年(1683)に「やりや丁 御釜や 常久。南なへ丁 同 山城」、元禄四年(1691)に「御釜屋 鑓や丁 常久。南なへ丁 山城」、元禄十七年宝永元年(1704)に「御釜師 京はし五丁メ 釜屋定甫。鑓屋丁 釜屋五郎左衛門」、文化六年(1809)に「御釜師 深川万年丁一丁メ 大西宇之助。 山城藤兵衛」、天保10年(1839)武鑑に「御釜師 深川万年丁一丁メ 大西宇之助。 山城藤兵衛」とあります。
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初代山城 | |
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三代山城 | |
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