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越後堀家

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越後堀家

越後堀家(えちごほりけ)は、越後の釜師の家です。
越後堀家は、江戸名越七代昌明の門下の西村次吉郎が、文政二年(1819)名越昌明より五代堀山城藤兵衛の没後絶家となっていた堀山城の姓を継ぐことを許され、堀を称し、越後に居住して鋳物を業としたところに始まります。
越後堀家は、二代浄政は、越後地蔵堂小島佐吉の次男で、旧姓を小島政五郎といい、江戸名越八代昌孝の門人で、堀浄知の養子となります。
越後堀家は、三代政五郎は、井上新九郎の四男で、初め仁三郎、通称を政五郎、入道名はなく、江戸名越九代昌芳の門人で、明治四十二年(1909)七十五歳で没します。
越後堀家は、四代浄弘は、三代政五郎の子で、文久二年(1862)地蔵堂に生れ、名は釜吉、のち政五郎、江戸名越十代昌晴の門人で、大正十年(1921)五十九歳で没します。
越後堀家は、五代浄親は、旧姓を鈴木敬二といい、江戸名越十代昌晴の門人で、四代浄弘の養子となり、堀山城十代目浄親と称します。『釜師の系譜』を著します。

越後堀家歴代
初代 堀浄知 西村次吉郎、浄知、天保三年(1832)歿
二代 堀浄政、小島政五郎、浄政、万延元年(1860)歿
三代 堀政五郎 初め仁三郎、通称は政五郎、明治四十二年(1909)歿
四代 堀浄弘 三代政五郎の子、名越昌晴門、大正十年(1862)歿
五代 堀浄親 鈴木敬二、名越昌晴門、浄弘養子

     
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