茶道茶道の道具水指和物土物 > 瀬戸

瀬戸水指

捻貫 一重口 渋紙 椿手 黄瀬戸 志野 織部

瀬戸水指

瀬戸(せと)は、尾張国瀬戸地方の窯で焼造された焼物、安土桃山期に瀬戸市地方の陶工たちが集団で美濃国諸地方に移り住み多数築いた美濃窯で焼造された焼物のことをいいます。
瀬戸は、寛文十二年(1672)刊『茶器弁玉集』に、妻木窯、大萱窯、クジリ窯、大平窯など、美濃窯はみな瀬戸窯所として列記されています。
瀬戸は、室町時代には茶陶としては茶入や天目茶碗だけであったところ、草庵茶の盛行にともない、美濃を中心に織部の指導のもと、筒茶碗、沓茶碗、水指、建水、徳利、向付などが盛んに焼成されましたが、江戸初期以降には茶陶生産の中心は次第に京都に移り、瀬戸焼は主に日常雑器を焼成するようになります。
瀬戸は、水指として使われたものには「永正十八年 (1521)五月十二日 てんもくや 又四郎」の彫書のある古瀬戸丸水指があります。
瀬戸水指は、茶会記に見えるのは信楽の天文二十三年(1554)や備前の永禄十二年(1569)よりも遅く、初見は『今井宗久茶湯日記』天正十四年(1586)十二月十六日宗易会に「瀬戸水サシ」とあるものです。
瀬戸水指は、利休最晩年の天正十八年(1590)から同十九年(1591)までの自会記『利休百会記』には、瀬戸水指が三十五回、新セト水指が三回と圧倒的に多く使われています。
瀬戸水指は、代表的なものに「捻貫」(ねじぬき)、「一重口」(ひとえぐち)、「渋紙」(しぶかみ)、「椿手」(つばきで)、「黄瀬戸」(きせと)などがあります。

『茶器弁玉集』「瀬戸窯所之次第」に「一 瓶子窯 藤四郎此窯にて唐物を焼と云説あり。一 祖母懐窯 此所をうばがふところと云へり、上作窯也。一 赤津窰 此窯主の名字を赤津と云と也、上作。一 信濃窯 信濃境にて焼故に云、上作。一 妻木窯 所を云り、上作。一落合窯 所を云、上作。一 大萱窯 所を云、上作。一 鳴海窯 所を云、中作。一 〓(クジリ)窯 下作物也。一 大平窯 下作。伊勢窯 伊勢境にて焼故也。一 大窯 此窯の焼物無類の出来物有、末世に及可為重宝物也、俗に殿様窯と云り。右窯は薪の沢山なる所を慕したひ入て焼と也。窯処により手癖くせ引掛土薬に習有之也。」とあります。

茶道をお気に入りに追加