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黄瀬戸水指

捻貫 一重口 渋紙 椿手 黄瀬戸 志野 織部

黄瀬戸一重口水指 松平不昧所持

黄瀬戸(きぜと)は、桃山時代に美濃で焼かれた黄色の陶器のことをいいます。
黄瀬戸は、灰釉に含まれる微量な鉄分が、酸化焔焼成により黄色に発色したものです。
黄瀬戸は、一般的に「ぐいのみ手」、「菖蒲手」、「菊皿手」という、三種類の分類が定着しています。これらの語の初出は昭和八年(1933)刊の加藤唐九郎の著書『黄瀬戸』(宝雲社)で、それぞれの代表的な作品をもって仮称しています。同著では、瀬戸で黄瀬戸と呼ばれていたものを仮に四種類に分類し、「ぐいのみ手」、「菖蒲手」、「菊皿手」の他に、「椿窯手の黄瀬戸」などと呼ばれていた黄釉手のものを、黄瀬戸の前段階と位置づけ「瓷器手の黄瀬戸」と仮称しています。
ぐい呑手(ぐいのみで)は、黄瀬戸の六角形のぐい呑みに代表されるもので、肉厚の素地で、釉に光沢があり、釉が厚くついて流れたところにはナマコ釉の現れたものが多く、文様のないものが多く、緑色を呈する胆礬(たんぱん)は施されていません。江戸幕府の医官曾谷伯庵(伯安 そやはくあん 1569〜1630)が所持した茶碗に似ているところから伯庵手の黄瀬戸と呼ばれることもあったが、伯庵茶碗自体が瀬戸で焼かれたものかが不明であるとして、ぐい呑手の呼称としたといいます。
菖蒲手(あやめで)は、黄瀬戸の伝世品「菖蒲文輪花鉢」(井上侯爵家旧蔵)に代表されるもので、一見油揚げを思わせる色をしているところから「油揚手」とも呼ばれ、光沢が鈍く釉薬が素地に浸透しているのが特徴で、多くの場合、菊や桜や桐の印花が押されていたり、菖蒲、梅、秋草、大根などの線彫り文様が施されており、胆礬(タンパン;硫酸銅の釉で、緑色になる)、鉄釉の焦げ色のあるものが理想的とされ、とりわけ肉薄のためにタンパンの緑色が裏に抜けたものは「抜けタンパン」と呼ばれて珍重されています。
菊皿手(きくざらで)は、美濃大平窯、笠原窯、尾張品野窯等から大量に発掘された菊型の小皿に代表されるもので、光沢が強く、黄色が鮮明で、釉には細かい貫入が入っており、貫縁に銅緑色の鮮かな覆輪を掛け、これが流下して黄緑が交錯し派手な美しさをなします。この手は厚作りで日常雑器が多いといいます。
黄瀬戸は、桃山期において珍重されていた交趾(ベトナム北部や中国南部の古称)のやきものの影響が大きいといわれています。
黄瀬戸は、多くは皿鉢、向付などで、水指は、ほとんど類例がなく、あまり見られないものです。

『陶器考』附録に「一 伯盌 俗に黄瀬戸の伯庵とて素谷伯庵作と云は非なり、伯盌は唐の時代 凡千年余 越州の作にて黄瓷杯と云、函谷関より東にて伯〓(上疋下皿)(ハクカン)と云、〓(上疋下皿)は盌也と陶説に出、曽谷伯庵唐物の伯盌を所持するにより混して黄せとの伯庵と云ひ間ちかひたるなり、もちろん瀬戸にても此形を写たる成へし、本物は大家に蔵めて見ることならさる故、見る人少き故なり、瀬戸出来は伯盌写黄せとヽ云てよし」「一 黄瀬戸物の内薬つやよく音かたくよこれ付ぬものに福州・安南・呂宋のもの入交る、唐方は土白くこまかなり、瀬戸は土あらく和らかし」「一 同堀の手のゆかみて出来たるは黄せとヽいふ、丸く出来たるは黄唐津といふ、両品とも呂宗ふゆかん窯黄土ものヽ入交たるなり」とあります。
『茶碗茶入目利書』に「黄瀬戸 尾張瀬戸焼後時代也、地薬ひわ色光有り、くわんにうひいとろ薬交る、高台廻り土見る形筒形平形杉形色々有」とあります。

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