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越前芦屋釜

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越前芦屋 甑口釜

越前芦屋釜(えちぜんあしやがま)とは、越前国(現福井県のうち南部の若狭国を除く地域)で鋳造された芦屋系統の茶湯釜のことです。
越前芦屋釜は、その年代や産地について詳らかになっていませんが、応永年間(1394〜1427)に筑前芦屋から鋳物師が移住したという伝承があり、室町幕府三代将軍足利義満の次男義嗣が応永25年(1418)兄の四代将軍義持の命を受けた富樫満成により殺害されたあと、その遺子である嗣俊が越前国に下り鞍谷公方となっているところから、茶の湯をやるために筑前芦屋から鋳物師を招いたのではないかといいます。
越前では、武生の五分市などで鍋釜などを鋳出してしていましたが、南条郡鋳物師村に筑前芦屋から鋳物師が移住し茶之湯釜を鋳造した影響を受けて、五分市でも文様を付けた真形釜や甑口釜を鋳造するようになったのではないかといいます。
越前芦屋釜は、真形釜(しんなりがま)と甑口釜(こしきぐちがま)があり、文様は箆押しと判押しで、後者が五分市系のもので、共に鬆立が多く、地金が堅く、釜肌の砂目がやや荒目で、底が重い釜が普通だといいます。

享保三年(1718)刊『万宝全書』に「越前釜 東山時代」とあります。
『釜師由緒』に「越前 一上代 中作也 凡三百年、二中代 凡二百年、末 凡百五十年。」とあります。

     
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