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伊勢芦屋釜

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伊勢芦屋 霰筒釜

伊勢芦屋釜(いせあしやがま)とは、伊勢国で鋳造された芦屋系統の茶湯釜のことです。
伊勢芦屋釜は、室町時代末期には茶湯釜を鋳造しています。
伊勢芦屋釜は、文様の箆押しが細かく、肌は滑らかで黒色です。
伊勢芦屋釜は、秀吉の命による手取釜模造や京都方広寺の梵鐘鋳造の辻越後守家種(1541〜1615)が全国的にも知られた名工でした。江戸後期では津藩の命で大砲鋳造をおこなった奥山金吾が名工として知られます。奥山家の始祖は筑前国の鋳物師で、その子孫の清兵衛が津に来たと伝えられています。
伊勢芦屋釜は、元禄十四年(1701)津藩への「乍恐口上書」の差出人「釜屋町鋳物師 越後 弥四郎 喜六 清兵衛」とあり、当時津の釜屋町に鋳物師が四家あることがわかります。越後は辻越後の子孫、清兵衛は奥山金吾の先祖です。

『松屋会記』天文八年(1539)亥正月八日に「伊勢釜」、永禄四年(1561)二月廿四日に「イセ釜」、天正二年(1574)甲戌十一月十六日朝に「イセ釜」とあります。
『続近世畸人伝』に「そのころ伊勢阿野の津に越後といふ名誉の鋳物師あるに命じて、利休居士が見しまゝに、二つうつさせて、一つは善輔に、かの破たるつくのひとて賜ひ、一つは御物となる。善輔歿して後、その釜、粟田口の良恩寺に収まれり。」とあります。
『雍州府志』に「伊勢国之所鋳草花竹樹等之紋甚細密是謂伊勢釜」とあります。
『勢陽雑記』の安濃郡「津城」に「津城下土産の物鋳物鐘・釜・鍋鋳物は津の市中かなや町といふ所、其の職事専らなり」とあります。

     
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