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風帯

本紙 一文字 風帯 露花  啄木 中廻 

風帯
風帯(ふうたい)とは、掛物の天地の天の部分に下げた帯のことです。
風帯は、一般的には天の部分の横幅を三等分した境目に、天の長さだけ、一文字と同じ裂地で下一文字の幅かやや太い程度の帯を下げます。
風帯は、上は八双に巻き込んで留め、下は左右の両端に「露花」と呼ばれる小さな総(ふさ)を付けます。
風帯は、通常は「一文字風帯」「一風」といい、一文字と同じ裂地を用いますが、中廻と同じ裂地を用いたものは「中風帯」(ちゅうぶうたい)といいます。風袋には風帯裏をつけますが、これには天地と同じ裂地を使用します。
風帯の語は、中国唐代に見え、衣裙の腰から裾にかけて垂らした帯をいいます。
風帯は、中国では「驚燕」とも「払燕」とも呼ばれ、画面に紙条を付していましたが、これは燕は紙がひらひらするのを怖れて近寄らないため、燕が泥を咥えて来て巣を作らないように付けたものといいます。
風帯は、「垂風帯」(さげふうたい)、「掛風帯」(かけふうたい)、「押風帯」(おしそふうたい)、「筋風帯」(すじふうたい)、「筋割風帯」(すじわりふうたい)などがあります。
垂風帯(さげふうたい)は、一文字と同じ裂地を用いて作り、八双に縫い付けて下げたもので、本式とされます。
掛風帯(かけふうたい)は、取り外しのできるものです。
押風帯(おしふうたい)は、「張風帯」(はりふうたい)ともいい、天に白紙や唐紙を貼付けたもので、宗旦の好と伝えられています。
筋風帯(すじふうたい)は、太い筋を入れ、垂風帯の代わりにしたものです。
筋割風帯(すじわりふうたい)は、風帯をつけるべき位置に細い筋を風帯の形にかたどって入れたものです。
中風帯(ちゅうぶうたい)は、中廻と同じ裂地を用いたものです。
風帯は、連幅、柱隠などの細物では一本として二本分の太さとして、先端を剣先にすることもあり、このときは露花を角三箇所に付けます。

唐の謝偃の「踏歌詞」に「逶迤度香閣、顧歩出蘭閨。欲繞鴛鴦殿、先過桃李蹊。風帶舒還卷、簪花舉複低。欲問今宵樂、但聽歌聲齊。」とあります。
清の孔尚任の『桃花扇』に「正清歌滿臺、正清歌滿臺、水裙風帶、三更未歇輕盈態。」(正に清歌台に満つ、正に清歌台に満つ、水裙風帯、三更未だ、軽盈の態を歇めず)とあります。
清の梁紹士の道光十七年(1837)刊『兩般秋雨盦隨筆』に「驚燕 凡畫軸装裱既成、以紙二條附于上、若垂帶然、名曰驚燕。其紙條古人不粘、因恐燕泥點汚、故使因風飛動以恐之也。見高江邨天祿識餘」とあります。
清の陸廷燦の『南村随筆』に「驚燕 画上例装紙條二、名曰驚燕、燕怕紙、凡有紙條處則飛去、蓋恐燕集於画汚之也、画上紙條古不粘」とあります。
谷文晁の『写山楼無声詩話』に「驚燕 高澹人天祿識餘に載す、画上例装二紙條、名曰驚燕、燕怕紙、凡有紙條處則飛去、画上紙條、古不粘、これにて驚燕の義詳なり、不粘もの古の法と見ゆ、彼邦の裱装多く粘す、粘せざるもの未た見ず」とあります。
『嬉遊笑覧』に「風帯 今唐表具といふものには風帯なし、典籍便覧に今画軸上二紙飄者曰払燕恐燕集墮塵于其間、調言長語に画上二紙條名曰驚燕云々古不粘任其瓢動とあれば後に褾(へり)の表に粘着(のりつ)けたるをやがてそれもせぬことゝなりしにや」とあります。
『燕居雑話』に「驚燕払燕ともに、掛幅のふうたいのことなり。然るにこのふうたいは、何の為に附しといふことを、俗人多くは辨へす、原来翩々させて、燕の泥を啣来るを避けん為に設けたるもの也。讕言長語に、画上ニ紙條、名為驚燕、々怕紙凡有紙條處則飛去、紙條古不粘、任其飄動といひ。又典籍便覧に、今画軸上二紙、飄者曰拂燕、恐燕集墮塵于其間ともいへり。さて唐山にても、宋の頃ふうたいを粘著たりと云ふこと、是にて知らる。」とあります。
『茶道筌蹄』に「紙表具の始 利休、笑顔和尚の文を紫地の印金の一文字に白唐紙の中風帯浅黄の紙の上下にせしと云ふ、この一文字風たいを去り白の張風たいにせられしは元伯也」とあります。
『石州秘伝和泉草』に「付風帯と云在、風帯の幅ほと風帯の下を切貫、風帯を仕込みたるもの也。常の二つ風帯も付風帯にする処あり。付風帯の時は露も花も付ぬ也。」とあります。

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