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表具

真(表補) 行(幢補) 草(輪補) 大和表具 変り表具 文人表具 名所

宋朝の表具

真の表具

行の表具

草の表具
表具(ひょうぐ)とは、書画を紙や布で裏打ちをして補強し、装飾を施して掛軸、巻物、屏風、手鑑、画帖、襖などに仕立てることをいいます。
表具は、裱具と書き、表装(ひょうそう)ともいいます。
表具の語は、一般に使われるようになるのは天正(1573〜1592)以降のことで、それ以前の室町時代には「裱褙」(ひょうほえ)と呼ばれていますが、これは宋で確立された表具の式が禅僧らにより請来され、同時に表具を意味する「裱褙」(ひょうほえ)という宋音の名称も伝わり、「表補絵」「表背絵」「表補衣」「表布衣」「裱褙絵」「裱褙得」などの字が当てられて用いられていました。
表具の種類には、足利義政に仕えた相阿弥(そうあみ)が定めたといわれる表具三体と言われる形式があり、表補絵(ひょうほえ)、幢補絵(どうほえ)、輪補絵(りんほえ)といい、単に表補(ひょうほ)、幢補(どうほ)、輪補(りんぽ)とも呼ばれ、それぞれを、真、行、草の式とし、それを更に、真、行、草に分けますが、草に関しては真の形式が無いとされ、全部で八種類の形式があります。
表具には、三体表具の他に、文人表具(文人仕立)、袋表具(袋仕立)、丸表具(切仕立)、本袋表具、明朝表具(明朝仕立・袋明朝)、太明朝表具、聯仕立、通し明朝、唐表具、台表具(台入表具・台紙貼表具・台張表具)、見切表具刳抜表具描表具(画き絵表具)、柱隠徐煕表具韃靼表具などの語があり、その他に茶人の好み表具があります。

『石州表具寸法書』に「能阿弥相阿弥表具の口伝也」「近来数寄者用来る表具は真相阿弥の図也」とあるといいます。
京都舞鶴の桂林寺の「涅槃像裏書」に「絵師城州窪田又次郎統泰 表具師式部卿周芳 奉行尊呈 従大永二年(1522)壬午拾月九日」とあります。
『津田宗及茶湯日記』天正二年(1574)三月八日昼に「此墨跡、始而見申候、十くたりあり、印三つ有、表具、上下浅黄、中白地きんしや、風躰一文字もへき金らん」とあります。
『真珠庵文書』天正六年(1578)に「古法眼(狩野元信)山水画  表具無之、一幅」とあります。
『茶道筌蹄』に「懸物 一文字風帯中上下の表具宋朝の製也、是を略し色々好をなす」「真表具 本紙の脇に細き筋を入たるを云ふ、仏表具に用ゆ、此すぢをにほひと云ふ」「〓(右巾上宀下登)褙(とうぼう) 両脇の広を云ふ、一寸八分より懸物に応じ順に広を用ゆ、併し中の下を通したるより広はなし」「輪褙 両脇のせまるを云ふ、四分より懸物に応し広くなるなり」「徐煕表具 宋朝製の寸法の一文字をさりしなり、珠光好と云ふ」「表具の寸法 一文字の上一寸ならば下五分也、中は一文字の上を四倍し四寸、中の下は中の上の半わりにて二寸、上下の上は中の上に三倍の一尺二寸上下也、下は上下の上の二わりにて六寸になるなり、何れもこの割にし少し下をふかくすがよろし、風帯びはかけ物の幅一尺ならば七分、これより幅狭きは掛物恰好見合せなり」、表具名所「軸 唐紙半切の幅にて出八分 象牙 角 ぬり物 木地」「軸木 軸に付く木地也、杉を用ゆ」「表木 上の巻留に入たる木なり」「うは巻の絹 巻留たる所にある絹也、巻物の表紙の如し、色浅黄」「懸絹 釘へかける所のきぬなり」「啄木 真田の打様の名也、浅黄と紺との打分を云ふ、まき緒とも云ふべし」「懸棹 長さ二尺八寸矢筈竹を用ゆ」「紙表具の始 利休、笑顔和尚の文を紫地の印金の一文字に白唐紙の中風帯浅黄の紙の上下にせしと云ふ、この一文字風たいを去り白の張風たいにせられしは元伯也」「懸物見る心得之事 本紙一文字中上下風帯軸と一二三の順をつけて覚るときは忘るゝことなし」とあります。
『逢源斎夏書』に「一、春浦文 利休表具、中白き唐紙、上下あさき紙、一文字風帯いんきん、紙表具の初也、堺の藪宗巴と申人所持、其後有楽へ持参、それより織田宗全へ参、それより道安へ参候」「一、表具いたし候事、大事に候 寸法かんにやうなり 取合同前 古は法大事にいたし 候が 今程は、手切之取合斗に而、寸法ハ表具師次第にて候、表具このみ申事は数寄之かうしやならてはなり不申候、いまはとはな二人も、このみ申なり、きんらん表具は知人おとしと休御申候」とあります。
『石州三百ヶ條』に「表具大躰三つ有、表補絵、幢補絵、輪補絵之事、表補絵は上下の惣へまはるをいふ、真なり、幢補絵、中縁四方へまはるを云、行、輪補絵、中縁四方へまはるを云、草也」「表補にも真行草有、一文字左右へまはり、惣縁と中との間にほそかね有也を表の真といふ、一文字まはらす、惣縁と中との間と一文字との間にほそかね有、行と云、一文字なし、中の内外に細かね有、表の草なり」「幢補にも真行草有、一文字左右へまはるは真也、一文字有之まはらぬ、幢の行也、一文字無之は、幢の草なり」「輪補絵には行草ありて、真はこれなし、一文字有之、輪の行也、一文字無之は輪の草なり」とあります。
『節用集』(1444〜1487)に「表補絵(ヘウホエ)、画。表背衣(ヘウホエ)、画」とあります。
文安三年(1446)『壒嚢抄』に「本尊懸絵等のめぐりの装束を、或はヘウホウヱと云、或は表紙と云、何れか正そや。 ヘウホウ絵と云は一向僻事歟、表紙又難心得、紙に非す。表背(へうはい)と書てヘウホイと読也、ハイの字をホイと読む例、倍堂(はいたう)をホイタウとよむ等也。五音の相通也、已にヘウホイ師と云者あり。表紙師とは云す、是に輪背(りんほい)、道背(たうほい)と云事有、其品を表背師に尋ぬへし。師の字を用る事は法師なる故歟、仏師、経師、唐紙師なんと云、男をは塗士、蒔絵士、檜物士なんと云也。〓(右巾上宀下登)表背(たうほい)、輪表背(りんほい)と三字に書く」とあります。
文明六年(1474)修復の東大寺「観盛筆四聖御影」裏書に「奉修補四聖御影 文明二年庚寅五月十八日卯剋新堂宝蔵院 大雨之間山崩一時顚倒其時及破壊間 修補之畢 文明六年甲午九月二日 表背衣専舜房 住持隆賢 知事文海」とあります。
『蓮如上人御一代記聞書』に「蓮如上人、善従に御かけ字をあそばされて、下され候ふ。その後善従に御尋ね候ふ。以前書きつかはし候ふ物をばなにとしたると仰せられ候ふ。善従申され候ふ。表補絵仕り候ひて、箱に入れ置きまうし候ふよし申され候ふ。」とあります。
享保二年(1717)刊 『書言字考節用集』に「裱褙(ヘウホ井) 今云。表具画也。或作表補絵者非」(今云う、表具画也。或は表補絵に作るは非なり)とあります。
『和訓栞』に「へうぐ、裱具とかけり、壒嚢抄に表背とみゆ、輪褙〓(右巾上宀下登)褙などの名あり、へりほそきを輪褙といひ、小べりなきを〓(右巾上宀下登)褙といふ也」「大和裱具といふは、上中下へりとも大鷹紙にて、一文字は大和錦を用ひ、風帯は朝を組みたるもの也」とあります。
宋呉自牧『夢粱録』に「其他工役之人、或名為作分者、如碾玉作、鉆卷作、篦刀作、腰帶作、金銀打鈒作、裹貼作、鋪翠作、裱褙作、裝鑾作、油作、木作、磚瓦作、泥水作、石作、竹作、漆作、釘ホ作、箍桶作、裁縫作、修香澆燭作、打紙作、冥器等作分」「朝天門裏大石版朱家裱褙鋪」とあります。
康正二年(1456)頃の『東野州聞書』に「京極黄門、懐紙自筆御所にて表補衣して、御座敷に被懸、これを安東遠州氏世書写也」とあります。
明阮大鋮撰(1587〜1646)『燕子箋』誤画に「浄圍裙扮裱褙匠、上門掛招牌利市、家傳裱褙生涯」とあります。
清康熙十六年(1677)序『諧聲品字箋』に「裱褙、裱表褙背也、凡糊物者、必兩層、以有畫繪者向外、謂之裱、以無染表紙托其背、為褙也」とあります。
清乾隆十六年(1751)序『通俗篇』に「表背匠 唐書百官誌、校書郎有榻書手、筆匠三人、熟紙裝洪匠八人。歸田録、裝潢匠恐是今之表背匠。按、表亦作褾,東坡尺牘、近購得先伯父手啓一通、躬親褾背題跋是也、痛又見陸務觀詩、自背南落墨花、今俗用裱褙字、裱為領巾、褙為襦、皆別字也、能改齊漫録云、俗以羅列於前者謂之裝潢子、此乃云裝幌子耳、幌子者、市肆之票、取喩張揚之意、與唐書裝潢匠、似不相關。」とあります。

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